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見学日 平成28年10月9日(日)12:00~15:30
津山往来を歩く過程で建部祭りを知って、いつか見たいものだと思っていた。10月第二日曜日が開催だと聞いたので気をつけていたらインターネットで開催日時が載っていた。開催は正午。午前中雨模様の天気予報だったが午後から晴れるということだったので開催されることを期待して建部まで行った。
福渡の旭川岸に車を置いて、近くのスープカレーの店で急いで食べた。それから幸福橋(沈下橋)で旭川を建部側に渡る。正午に七社八幡神社に到着
境内はかなり広い。拝殿に向って右側が全体に坂になっているのも珍しい。その坂の上に御旅所と思われる長屋がある。区切りは八つ。それぞれ注連縄が張ってある。
建部に来る途中に国道53号線で見かけた人が、神社の前を通り過ぎていくのに出会った。デイパックを背負って国道沿いを歩く姿が記憶に残っていた。建部祭りを待ちかねて見学に来た管理人としては、横目でちらっと見て過ぎていく姿にもったいないなあ、と思ってしまった。それで八幡橋の上で話しかけた。
休日を使って歩いている人のようで(県外から来たのかな?)、昨日は後楽園から野々口まで、今日は野々口からここまで旭川沿いを歩いて来たようだ。
国道沿いを歩くのはあまり面白くないと感じたので、津山往来のことや祭りのことをもごもごと説明したけど、胡散臭そうな感じをもたれたようで話に乗ってこなかった。お節介が過ぎたか、と少しめげた。
くるっと回り、また幸福橋(沈下橋)を渡って、たけべ八幡温泉の前を通ると神輿が来ていた。ここと、近くの老人施設にそれぞれ神輿が挨拶?していた。
二つの神輿は似ているが、別の神社のものだ。担ぎ手はどの神社も白装束。あと鉦と太鼓と笛の人は軽衫(かるさん)に脚絆。棒遣いは鬼や天狗のような面をかぶっている。わらじばき。袴姿の人は役員かな。略礼服の人もいたな。これもどの神社も共通である。
左側は、多自枯鴨神社の神輿と神主と棒遣い。礼をし、棒遣いが技を披露する。神輿の神様に奉納するという風に見えた。
右側も棒遣い。神社はどこか分からない。
獅子舞は基本二人遣い。前の人が獅子頭をかぶり、うしろの人は顔が出ている。獅子は手にお祓いの白い紙がついた棒(大麻:おおぬさ、というものだと思う)を持っている場合が多い。
棒遣いは危ないので周囲が空くが、獅子舞(神楽)は笛や太鼓、鉦の人が周囲にいるし、見物も近くに行くのでよく分かる写真はあまり撮れなかった。
1時15分頃には神輿が揃う。
400メートル離れた七社八幡宮へ進む。たけべ八幡温泉の横を過ぎ、踏切を渡る。その先のT字路を右へ曲がれば神社。
そこから拝殿前の広場への階段を上がる。
上がった順に(確認しなかったが宮入する順番も決まっていると思う)神楽(獅子舞)の奉納。それから神輿が階段の上の拝殿に向って、拝礼。神輿を持ち上げる時もあった。
拝殿までの階段、拝殿の周囲に見物人がいてもみんな平気だ。うるさいところでは文句を言う人がいるが、危ないとき以外は注意されることはなかった。
一般の観光客がほとんどいなくて、地元の人ばかりだから、というのも理由の一つだろう。
神様が相手だから、途中に遮蔽物があってもお見通しのはずだから神経質になる必要はないのではというのは管理人の勝手な解釈。ほんとうは穢れとか神威とかいろいろな説明があるのだろう。
そのあと境内をあちこち練り歩いて坂に上り、御旅所へ入る。要所要所に青竹を持った係員が警備をしている。勢いのついた神輿が観客に突っ込まないように、あるいは障害に引っかからないように制御している。
棒遣いを奉納する神社もある。そして、神輿の拝礼。それから境内を練って、坂を上り、御旅所に入る。以降は八基の神輿が御旅所に入るまで、この繰り返し。鉦と太鼓と笛とかけ声がずっと続く。
練りながら観客の方へ突き進んで、直前で向きを変える。少し怖いときがあるが、役員の青竹による指示と古参の漕ぎ手の誘導でうまくかわす。
すべての神輿が御旅所に入ったのは2時前。2時頃から七社八幡宮の神主による祝詞。このときは静寂。
祝詞が終わると神楽(獅子舞)の奉納。最初は一つの神社、それから複数の神社が奉納する。獅子が坂を上ると笛や鉦も後ろからついていく。幾度か繰り返す。
次は棒遣いの奉納。最初は全員揃って、それから幾組かに分かれて棒を遣う。
もう一度神楽(獅子舞)。獅子頭を高く掲げる。下の人の肩の上にもう一人立っている。三頭の獅子が舞っているのだが、写真では左端の一つが木に隠れている。
みんなで支えている。
、
そのあとは、八神社それぞれに獅子舞。あっちもこっちも獅子舞だらけ。境内一帯は鉦と笛、太鼓の音が満ちる。
待機している担ぎ手などのあいだで一升瓶が回されたりしている。
3時頃から神輿が動き始め、それぞれ御旅所の前に出てくる。並び終わった。
3時15分くらいから坂を下り始める。そして、神社の横に整列し、神輿が高く上げられる。神主がお祓いをする。
それがすんだら神輿8基が境内を練り歩く。酔いもあるのか最初の頃より動きが大きい。疲れもあると思うが、担ぎ手の多くは笑っている。
ひとしきり練り終わったら、祭りも終盤。一基ずつ神輿が拝殿前で拝礼し、神輿を揺らし、声を上げる。七社八幡宮の神輿も、拝殿横で神輿を揺らす。そして、降りていく神輿を見送る。
七基の神輿がそれぞれ帰って行ったあと、七社八幡宮の神輿は拝殿前の馬(神輿を置く台)の上に置かれ、その前で神楽(獅子舞)が舞われる。
御旅所はまたがらんどうになった。
建部郷内八社の神輿が、秋祭りに郷の総社、七社八幡宮に参集して行われる寄宮祭である。
建部祭りは慶安二年(1649)の古文書によると、すでに建部郷内七ヶ所の神輿が神幸していることの記録があり、その起源は中世にさかのぼるものである。
七社八幡宮への参集神社は、多自枯鴨神社(田地子)・佐久良(桜)・真名井(市場)・天神宮(中田)・富沢神社(富沢)・宮地神社(宮地)・天満天神宮(久具)の七社であるが、延享四年(1747)頃には、品田の正八幡宮と西原の厳島神社も神幸していたことの記録が見える。
祭りは「宮入り」「御旅所祭」「神和め(神遊び)」「宮開き」からなり、神輿の勇壮な練りとともに、各社による神楽(獅子舞)や棒遣いが奉納される。
そして最後は、宮司による奉幣の合図で一斉に神輿を高々と差し上げ、村の発展、協調、五穀豊穣を祈る。
伝統的祭りだけに厳格な申し合わせがあり、「入御」「還御」の順序や「神合いの地」での各社互礼など古式に則り、しかも賑々しく執行される。
この御神幸祭は、古くから「市を立てる」といわれていたが、一般に「建部祭り」の名で親しまれており、県内有数の盛大な祭りの一つである。 」旧建部町教育委員会による社前の説明板より。
その他参考:建部町の伝統行事・祭り岡山市 (サイト確認:平成28年10月10日)。
建部祭りおかやまの文化財 岡山県(サイト確認:平成28年10月10日)。
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