由加山北参道

由加山北参道


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由加山北参道について

 調査報告6p19-20によれば瑜伽大権現に参詣する主要な道は4経路あった。そのなかで金毘羅往来から林で分かれ、熊野神社のそばを通る北往来が最も歴史が古い。
同書p20では

林からの北往来は、熊野神社のそばを抜け、木見へ入る。森池の鳥居をくぐって、下伊領へ行く。ここから先は急坂で、現在では当時の道を見付けることは困難になっている。県道から再び草に覆われた旧道を通り、根引から由加の門前町に入る。

とする。

 また「由加山」(岡山文庫144、原 三正著、日本文教出版、平成2年)p67-74でも4経路を「主な参道」とし、「おかやま街道(北参道)」について次のような記述がある。

 京阪から岡山を経て、また備中筋からの由加山まいりの人たちは天城・藤戸を通り児島へ渡った。(中略)宝暦十二年十一月八日前藩主池田継政は宿舎の天城陣屋を発って百数十名の大名行列で瑜伽へ向った。(後略)

 同じ著者の「児島歴史散歩」(原 三正著・発行、昭和52年)では、「北参道、これは林を経て木見の鳩岡大師堂を起点とする三十八丁の路で、森池の畔に大きな石鳥居がある。岡山・玉島方面からの参道で、明治初年に詩人成島柳北が辿った道で、由加に近い根引と尾原分校の間を除けば、自動車が往来できる道に改良せられた。(以下略)」という。なお、鳩岡大師堂はどこにあるか分からない。

 当サイトでは瑜伽大権現に参詣するために、江戸時代に林から登った道を『北参道』とした。調査報告6の「林からの由加往来(北往来)」と同じである。そして、少なくとも阿弥陀庵(旧大願寺)の五十四丁は北参道の丁石と捉えている。
 また、瑜伽大権現は明治の神仏分離政策によって『由加山蓮台寺』と『由加神社本宮』となっている。当サイトでは、それぞれを区別せず、漠然と「由加山」と表記した(地理的な山名は瑜伽山)。「かって瑜伽大権現があった地域」程度の意味である。

歩行記録の目次

林からJR木見駅
下津井往来の記録を整理したとき、いくつか分からないことが出てきて、再調査をした。そのついでに林から木見駅までを一人で歩いた。
JR木見駅から由加山まで
林から木見駅までを歩いたとき、木見駅で光背を負った仏が合掌した舟形の丁石を見た。心引かれるものを感じ、調べると北参道の丁石はほぼ石仏だということが分かった。この丁石を見るために瑜伽山北参道を歩きたいと思った。廃道もありそうだったので頼りになる仲間に声を掛けて、木見駅から由加神社までを4人で歩いた。
由加北参道の丁石
平成28年5月15日の調査で確認できた丁石一覧

林からJR木見駅

歩行日:平成28年4月22日
概況: 距離2キロ(寄り道の距離は含まない)。寄り道として訪れた毘沙門天堂を除けば平坦でわかりやすい道。歴史的な施設多数。歩行者:衛藤。

経 路 図


由加山北参道全体を見る。

起点・通学路橋

通学路橋  郷内川に沿って歩く下津井往来から通学路橋のところで分岐する。岡山から通学路までは、下津井往来を参照 (下津井往来 )。
通学路橋から木見駅までいくつかの分岐を意識せずに道なりに進めば良い。
 少し進めば、左側に犬淵公園がある。

 140メートルほどで犬淵信号交差点を斜めに渡る。左側に下電バスの林停留所がある。写真の奥の山が熊野神社になる。
犬淵交差点

さらに行くと県道21号線に出会う。左角のパン屋さんでおやつを買った。
 林歩道橋を渡り、「五流尊瀧院 入口」の案内板の右側の道を進む。すぐに二叉に分岐していたので少し悩み両方歩いてみたが、道の進み具合などから右の道が正しいと判断した。

 まっすぐ南東に進むと、200メートルほどで山裾を周り込む。熊野神社の鳥居が見えてくる。鳥居横の石柱には「熊野神社 十二社権現」と書いている。
熊野神社鳥居横 熊野神社鳥居正面
 熊野神社は修験道と関わりの深い古刹である。岡山県大百科の記事を以下に記す。

 (前略)紀伊熊野神社に対して新熊野とも称す。伝説では役小角(えんのおずぬ)らが紀州熊野からご神体を大宝元年(701)に運んで来て祀り始めたというが、実際は平安末か鎌倉時代に勧請されたものであろう。本殿6棟のうち1棟は明応元年(1492)に再建されたもので国指定重要文化財。ほかの5棟は県指定重要文化財である。
 中世、熊野神社の別当寺は熊野神社の西にあった大願寺であった。また、この熊野神社を一つの拠点として、児島五流山伏が中世以来現代にいたるまで活動している。(引用ここまで。年号の表記を元号を先に記述するなど表記を若干変更している。また、大願寺は廃寺になって、現在は阿弥陀庵となっているようだ。)

 参考1:熊野神社 神社紹介 岡山県神社庁(サイト確認:平成28年5月30日)。
参考2:熊野神社 倉敷観光WEB 倉敷市公式観光サイト(サイト確認:平成28年5月30日)

熊野神社本殿 熊野神社三重の塔
 参道両脇にいくつものお寺がある。境内には由緒あるたたずまいの三重の塔や本殿があり、他にも後鳥羽上皇宝塔などの国指定重要文化財がある。

 熊野神社を出たすぐ角に児島八十八ヶ所霊場五十三番札所 阿弥陀庵があり、軒先に五十四丁の丁石がある。(写真をクリックすると大きな画像が表示されます)
五十四丁

 今来た道の先をそのまま進む。左側に酒造会社「伊七」がある。

 そこからすぐ、左側の茶色の建物の陰に小さな祠がある。お地蔵さんが鎮座されている。祠の後ろに文政七年(1824)建立の常夜燈がある。
祠 常夜燈

その先、左側に五流尊瀧院の駐車場があり、その先に左に折れる道が参道のようだ。


寄り道して坂道を登る。修験道の本庁とある。ここについても岡山県大百科の記事を引用する。

 (前略)近年天台宗から分離し、宗教法人修験道本庁として独立した。
『新熊野御伝記』によれば、大宝元年(701)役行者の弟子義学ら5人が、紀伊の熊野権現を勧進してこの地に新熊野権現の三山を建て、長床衆五流、公卿十二家の山伏道場を設けたという。五流はこの5人がそれぞれに開いた寺院(尊瀧院、建徳院、伝法院、報恩院、太法院)をいい、尊瀧院はその中心であった。
 中世の盛時には各地に寺領も多く、傘下に35院を数えた。現在は五流尊院だけが36世として伝統を継ぎ、院内に冷泉宮頼仁親王御庵室、近くに後鳥羽上皇の供養塔と伝えられる宝塔、頼仁親王墓などがある。(以下略)
 (元号を先記、ふりがなの省略などの変更を行っている。また、同書は昭和55年の発行であることを念頭においていただきたい。)

 宝塔は熊野神社のところにあった。ここも神仏混淆の時代は熊野神社と一体で、明治になって分離したようだ。
(参考:五流尊瀧院 倉敷観光WEB 倉敷市公式観光サイト:サイト確認 平成28年5月30日)。
五流尊瀧院01 五流尊瀧院02


 さらに進むと右側にブロック塀に門のように立った注連柱が見える。この注連柱は安政四年(1857)年に建てられたようだ(調査報告6p24)。中に北村公会堂があり、敷地内に「宝塔、宝篋印塔、相輪、五重塔、五輪塔」がある。また、公会堂の入口(注連柱の入口の先)には、祠があり、地蔵尊が祀られていた。他にも嘉永三年(1850)建立の常夜燈などがある。
北村の宝篋印塔 北村の地蔵尊

 その先、左に分岐する道の角に「左毘沙門道」の道標がある。
毘沙門道標


地元の人に道を尋ねて寄り道してみた。坂を登ると墓地がある。その右側を登り、さらに池のところで案内通り右側を登る。さらに石の階段を上る。
毘沙門堂への道1 毘沙門堂への道2

登り詰めたところにお堂がある。
お堂の左側屋根の下は岩であり、そこに毘沙門天が祀られているそうだ。鍵がかかっていて毘沙門天立像は拝観することができなかったが、周囲は仏教的な雰囲気に包まれていて静謐な感じを味わった。
五十二番札所への遍路道標があったので帰宅後調べると、この先にある住心院の奥の院であるようだ(児島八十八か所巡礼 第51-2番 住心院奥之院 児島八十八か所巡礼 サイト確認:平成28年5月30日)。大きめの磨崖仏もあり、また山の中に細い道が延びていたので、修験道との関係なども考えた。
毘沙門道標 毘沙門堂の磨崖仏
毘沙門堂の遍路道標
 もとの道標のところに戻る。


 道標から少し進むと、道は右に曲がる。曲がり口に左側に入る道があり分岐の先にはこんもりした森が見える。この森の中に頼仁親王の墓碑とされる五輪塔がある。鉄格子の扉に菊のご紋があり、宮内庁管轄の看板があるので、単なる言い伝えではないようだ。
頼仁親王墓看板 頼仁親王墓

頼仁親王:正治2年~宝治元年(1200~1247)後鳥羽上皇の第4子。承久の乱(1221年)の敗戦により隠岐へながされる後鳥羽上皇とともに備前に配流せられ、この地で没した。没して諸興寺に葬られたといわれ、諸興寺跡付近(倉敷市木見)にあった五輪塔が、陵墓に比定されている。(岡山県大百科。元号を先に記述するなど若干表記を変更している)

 頼仁親王墓のある森の背後に天保十五年の常夜燈がある。高さは2.66メートルということだが、石垣の上にあるので見上げる位置である。灯が入っているときに見てみたいと思った。また周囲に祠、南無阿弥陀仏と刻まれた六字名号塔、六十二番を示す遍路道標があった。
木見の常夜燈 木見の祠など

 頼仁親王墓の横で、別の道と合流する。そのまま進み、約400メートルでJR瀬戸大橋線の高架の下に到着する。木見駅は右側。
瀬戸大橋線高架


 木見駅に停車する列車は一時間に一本程度しかない。時間待ちのあいだ、児島八十八ヶ所霊場五十一番札所 住心院を拝観した。遍路道標を見ながら適当に歩いた。拝観後も適当に駅に向っていると天保六年の銘がある常夜燈や「奉納日本大乗妙典」と書かれた石碑があった。なお、住心院は花のお寺といわれているようだ。
住心院 倉敷観光WEB 倉敷市公式観光サイト サイト確認:平成28年5月31日。 住心院の案内 住心院の遍路道標

住心院 住心院の常夜燈


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