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井上金藏日記の3ページめ

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岩倉殿ヨリ御諭解之大概
此度神戸之一件ニ付ては、嘸々其藩一統苦心之程察申候
然ル処、於
朝廷も御同様之御事ニ候、就ては彼是三日も御評議ニ相成
遂ニ徹夜ニも及候得共、兎角不決、最早此上は
主上 御叡断之外無之ト存、則相伺候処、実ニ其辺被為悩
叡慮候義ニ御座候、就ては彼是事情言上も仕候上、如此
御叡断御沙汰ニ相成申儀ニ有之、実ニ若斯立至候も全く
先帝攘夷之 叡慮、御名ニおいて深く遵奉し居申候ニ付
其旨士民迄も徹底し、彼れを悪ミ居申候処ヨリ、此度之
一挙ニも立至候義と、深く御酌取被遊御感心之事ニ
有之候、乍併形成勢一変致居申儀は素ヨリ承知之事ニ候得共
往古ハ三韓有るを知て萬国有るを知らす、然るに当今萬
国並立候上ニて、同しく日下之民ニ有之候間、彼之四方国を以
我九州四国抔之如く見へ申場合ニ候間、尚又其辺深く酌取
国論一変可致、扨此度当人之義、彼之為ニ死すると思ひ候ては
如何ニも残念ニ被思候得共、実ニ皇国更始御一新之折柄
右之次第ニては、如何様之大害を可醸も難計候ニ付、無拠公
法を以御処置被仰出候間何卒
天朝之為、皇国之為、次ハ備前一国、日置一家ノ為、右四ヶ条之御
為筋を存、死を甘し呉度段、懇々御諭解有之候事

日置帯刀


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