万国公法

宇内の公法あるいは万国公法

宇内の公法

 神戸事件関係の文書では「宇内の公法を以て、処断する」という表現が使われる。宇内とは、「天下」「世界」のことである。(「宇」は天空が地上を覆うの意。『国語大辞典』)
 万国公法のことであるとされる。

万国公法とは

「万国公法」という言葉は、慶応から明治にかけて二つの意味で使われる。一つはアメリカ人ホイートンが著した[Elements of International Law]の中国語翻訳書の書名として。もう一つは法体系としての「国際法」の意味である。

「外交に関する布告書」では、「国際法」の意味で使っていると思われるが、法規というよりは、「世界共通の真理」といった意味合いを持った使い方である。

書籍としての万国公法

「国際関係法辞典」(頁725)は、翻訳書[万国公法]について次のように記す。 「中国で漢訳され日本に継承された国際法の訳称。一八六四(同治三)年米国の宣教師マーチン(William Martin、中国名、丁[イ]良。イは、題の頁部分が韋)がホイートン(Henry Weaton)のElements of International Lawを漢訳し、『万国公法』として出版し、翌六五(慶応一)年幕府の開成所で復刻出版された。その後漢訳本の注釈本や和訳本が相次いで出版され、当時の識者はそれらにより国際社会に法規が存在することを知るに至った。一方、六二(文久二)年オランダへ留学生として派遣された西周助はフィッセリング(Simon Vissering)の私講述(※1)を幕府で講義し『畢洒林氏(※2)万国公法』として刊行した。(中略)幕末から明治初期のわが国にあっては、「万国公法」は諸国間の関係を規律する実定的な法規というよりは、五箇条の御誓文が「天地の公道」としてこれに言及したことが示すように、自然法的道徳規範ないしは人類の正義と公正の諸原則として受け取られていたことに注意する必要があろう。」

※1 私講述=オランダに留学した西周助と津田真一郎は、文久三年八月下旬から慶応元年十月まで一年三か月のあいだ週二回フィッセリングの私邸に通い教示を受けた。吉野作造による[「『性法略』『萬国公法』『泰西国法論』解題」[明治文化全集 第八巻・二―四]。)
※2 畢洒林氏=ヒツセリン、ライデン大学教授フィッセリングのこと。

 『畢洒林氏万国公法』の凡例で西は、「されと其書のもと初学の人の為にとてものせるにはあらて成学の人の資(たす)けにとて選はれつるからに」と、ホイートンの漢訳『万国公法』が初学者には難しいと評している。政府方針を決める慶応四年正月十九日から二十日の堂上の会議の参加者がどの程度「万国公法」を理解していただろうか。
なお、神戸事件当時『畢洒林氏万国公法』は刊行されていないが、その準備が進んでいた。 また、 [「畢洒林氏万国公法」明治文化全集 第八巻 法律篇・六]の吉野作造による解題では「万国公法の行わるる所以を人性自然の約束に帰して居る点に当時としての特所を見るの外、平時並に戦時にわたる万国公法の細かい規則を教えたのが本書の有つ最大の効積(ママ)であろう。西周の分担に属し、慶応訳に成れるは慶応二年十二月の末京都に於てであり、直に之を将軍に上った。公刊して一般民間に頒布したのは明治元年である。(以下略)」とある。

解題のいうには、法体系としての「万国公法」への理解が「人性自然の約束に帰す」という点に特徴があるとする。つまり、「自然法的道徳規範あるいは人類の正義と公正の諸原則」[講義国際法入門・十二]ととっていたのである。
それを示す例として、[伊達宗城公御日記・三七](同書解読文)に次のようなやりとりがある。

「宇(宗城) 今は日本中万国公法すらわかっていないのですから、この西周助が翻訳した小冊子を印刷させて、朝廷その他にひろく読ませたらよいと、手を付けたところです。万国と言うと、分らず屋は西洋万国の法律を日本で採用するのはいかがやと、思うのですよ。今度の備前の事件でも、異論があったのですが、万国と言っても、これは天地の間にこれ以外はない公平な議論に則っているわけで、天法と唱えてもよいと説明して、やっと少々は理解しました。
パークス もっとも至極、万国とは誤訳のようなもので、天法は至当の考えです。」 パークスはしてやったり、と思ったのではないか。

もちろん木戸孝允のように西洋が他国を支配する道具の面を持つことを見抜いている者や[木戸孝允日記 一・一三八]福沢諭吉のように日本人の万国公法理解に疑問を投げかける者[福翁自伝・一五五]もいた。
なお、[「畢洒林氏万国公法」明治文化全集 第八巻・十七―六二]を見る範囲では、原則を示したもので具体的な刑罰については書いていない。

支配の道具という捉え方

 木戸孝允は明治元年十一月八日の日記で次のように述べる。
 皇国の兵力西洋強国に敵す()() る兵力不調ときは萬国公法も元より不可信向弱に候ては大に公法を名として利を謀るもの不少故に余萬国公法は弱国を奪ふ一道具と云


 陸羯南(くがかつなん)は「原政及国際論」で万国公法を西欧以外に適用しようとするのは、西洋キリスト教国の専横だとみる。主権国の平等はなく、西欧諸国は自国に不利益な場合はこれを守らない、遵守の義務を負わされるのはアフリカ・南洋・東洋の国だけである、とし、この状況を武士の庶民に対する切り捨て御免の制度に例えている。


【参考資料】

もとにもどる