深江村と正壽寺

【現在の正壽寺】
正壽寺
(写真は現在の正壽寺。撮影2018/11)

 深江村は、森村の南、大阪湾に面する芦屋川河口沖積地の西岸寄りに位置する。氏神は森村の稲荷大明神と北畑家村の牛頭天王社(現保久良神社)、寺院は正壽寺(現浄土真宗本願寺派)がある(『兵庫の地名』Ⅰ 頁183)。
 西国街道(本街道)の南側に位置し、浜街道が村中を通過する(『本庄村史-地理編・民俗編』頁42、44)。
 日置家中小姓・山崎喜兵衛は外国兵との撃ち合い後、主人帯刀を探して、最初に深江村に向っている。日置隊の当初の目的地のひとつではあったと思われる(高須七兵衛聞書)。
 責任者の処罰という新政府の命令を、岡山藩が受諾したあと、瀧善三郎は、森村の浄称寺から深江村正壽寺まで日置家家来によって護送された。そこから岡山本藩と池田伊勢配下の天城池田家家来により兵庫表まで護送された(『池田伊勢御奉公之品書上』池田家文庫D3―9)。
【参考資料】

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