瀧善三郎辞世の歌

 瀧善三郎の辞世の歌の伝承はいくつかの異同がある。当方で確認できたもの三種類を以下に記す。どの形が原形であるか検討したが、確証を得ることができていない。

(1)きのう見し夢は今さら引かえて神戸のうらに名をやながさん

(イ)東山霊園の瀧善三郎墓碑
【右側面】きのうふ見し夢ハ今さら引かへて神戸のうらに名をやな賀さ無
【裏 面】幾濃布見し夢ハ今更引かへて神戸乃うらに名越やな可さ無
(ロ)『岡山藩家老日置忠自筆御用書』上
きのふみし夢ハ今さら引可へ帝神戸のうらに名おやなかさむ
きのふみし夢ハ今さら飛き可へて神戸のうらに名おやな可さむ
(日置忠は日置帯刀である。辞世の歌は二箇所に記載されている。神戸市立博物館蔵。)

(2)きのう見し夢は今更引き替えて神戸の浦に名をやのこさん

(イ)『故瀧正信殉国事歴』
きのふ見し夢は今更ひ起可へ天神戸の浦に名をや残さん
(伊達宗城の記録を写した同名の文書があるが、瀧の辞世が掲載されているのは史談会編纂の池田家文庫資料番号S6-121)。
(ロ)井上金藏日記
きのふ見し夢者今更引替天神戸の浦耳名をやのこさん
(池田家文庫に収蔵されている資料番号S6―121、資料番号S6―125、合集形態の資料番号S6―115の一章は、『井上金蔵日記抜粋(あるいは抜萃)』と文書名が同じであり、朱書と墨書を区別しなければ、内容もほぼ同じである。
 辞世の歌について、S6―125には上部に、辞世が異なるといった意味の付箋(朱書)が張ってあるが、資料番号S6―126では同文であるが付箋はない。)

(3)きのふみし夢は今更引かへて神戸かうらに名をやあけなむ

(イ)『瀧善三郎神戸一件日置氏記録ノ写 遺書並辞世ノ歌写』(池田家文庫 資料番号S6-116)
幾のふみし夢ハ今更引可へて神戸可宇良仁名をや阿け奈む
(前記『井上金蔵日記抜粋(あるいは抜萃)』と同じく同内容の文書が『瀧善三郎神戸事件日置氏家記之写・同人遺書並辞世之歌』(池田家文庫 資料番号S6―123)など同じ内容の資料がある。朱書と墨書を区別しなければ内容はほぼ同じである。
(ロ)『神戸事件―明治外交の出発点―[中公新書681]』(内山正熊著、中央公論、昭和五十八年刊。頁156)
幾のふみし夢は今更引きかへて神戸が宇良に名をやあけなむ
 著者は神戸市の瀧の子孫宅を訪れ、遺書などに接したとし、前記の辞世の歌を写したとしている。

【補足】
 瀧善三郎の辞世の歌に関しては、「瀧善三郎の辞世について」(原田益直著、『岡山県立記録資料館紀要 第6号』、岡山県立記録資料館編発行、平成二十三年。頁19―38)に詳しい。
 ただし、(3)ロが正しければ、議論の余地はないが、墓碑と異なるという矛盾は残る。

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