日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書

概要

内容

日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書の表紙

 神戸での衝突以降、岡山藩が新政府へ提出した報告、新政府が岡山藩に通達した達し類をまとめた公文書集である。新政府の担当者としては、三位長谷信篤(事件当時刑法事務惣督)、岩倉具視(同副総裁)、三条実美(同外国事務惣督兼副総裁)の名前が出てくる。
 藩の報告書のかなりの部分に京都留守居に関連した者の名があり、折衝の前面に立っていたことが判る。
 番号などによる区切りがなく、また繰り返しも多く、個々の文書の位置が判りづらい。繰り返しは、別にまとめられた複数の文書を転記した結果だと思われる。誤記と思われるものも若干ある。誤記と思われる点は、繰り返された他の部分、他の池田家文庫資料、復古記、大日本外交文書などを参照して修正し、そのことを補記した。
 神戸事件に関する岡山県関係の資料と部分的に重なり、転記による文字の異なりを除けば、記述はおおむね正確であることが確認できた。
 収録されている文書は33種に上る(転記の重複は1種とした。ただし、同じ書類を別の日に別の相手に出したものは2種とした。区分は編者)。網羅性が高く、事件に関連した公文書集としては重要である。  収録文書一覧はこちら


【補足】
事件に関する岡山県関係の資料
 (現在把握しているもの)

Ⅰ 岡山藩士日置帯刀従者於神戸 外国人に対し発砲始末一巻 岡山県編
一、去る戊辰春元岡山藩士 日置帯刀従者外国人へ対し発砲始末
  壬申七月十四日東京へ差立外務省へ差出候控
二、外夷事件 十六番軍事局出、日置帯刀家来の事
三、日置帯刀家来 瀧善三郎神戸町にて外国人へ発砲一件 十六番
*吉備群書集成/(五)、ページ112から129。上記標題は同書解題による。
岡山県立図書館所蔵:デジタル岡山大百科で閲覧可。下記からリンク。リンク先標題は、デジタル岡山大百科による。
岡山藩士日置帯刀従者於神戸外国人ニ対シ発砲ノ始末 明治五年七月外務省、進達扣
 
Ⅱ 日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書類
岡山県立図書館所蔵:デジタル岡山大百科で閲覧可。下記からリンク。
日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書類
 


形態・作者および作成時期ほか

 しっかりした竪帳である。表紙には、右上に『記五号』左上に『記五号廿番』と朱書されている。また、作者(転記者)は表紙に記載のある『記録掛』だと思われる。
その下の角印は『本池田印』と読める。
 作成年は記述がない。


【検討と参考資料】
記録掛について
 「近世中後期岡山藩における留方下僚の存立状況」によれば、岡山藩では文書作成等は、『留方』によって行われた(ページ319)。「岡山藩政史料の存在形態と文書管理」によれば、留方は慶応4年6月27日に『記録方』と名前が変わっているが、さらに翌月7月には『国史局』と変わる(118ページ)。また『留方』が『維新ノ際国史局ト改』という記述を「調度記下書」(資料番号C12-67、リール番号TCL-009)の記述の中で見た。
 ただし、岡山大学附属図書館池田家文庫マイクロフィルム目録データベース(以下『データベース』)を『記録方』というキーワードで検索した結果ヒットした17件は明治2年が多く、前記の記述と矛盾する。
 さらに、[藩政改革関係書類](池田家文庫、S5-300.417~427.487.M。リール番号TSE-015)の注記では、『留方』が『記録方』と変わった時期は同じだが、その後明治2年10月21日『録事方』、明治3年12月22日に『藩史方』と変更したことと記されている。両者の記述が異なる理由を明確にできていないので、岡山藩庁における『記録方』という部局の存在期間を特定できない。
 いっぽう、「旧岡山藩主池田家の近代における文化財管理の実態について」(林原美術館年報3号)では、明治2年以降、政府の方針に従って池田家は岡山藩と内家(池田家)が分離し、『内外ノ要件摘録 地図調整 藩史編纂 旧藩記録取調』他の職掌を持つ部署として『記録方』が設置されている。(ページ31)
 二つの記録方の関係も明確にできていないが、当文書で使用している罫紙などをもとに後者の記録方ではないか、と推測している。ただし、今後より詳細な検討が必要である。
考察
使用されている罫紙について
 罫紙中央(魚尾下)に『本池田』と印刷されている。(本文原文画像参照)
前記「旧岡山藩主・・・」を参考に、「什器取調表」など池田家の調度方などの資料を見ると、当文書と同じ『魚尾下に「本池田」と記された、子持ち四周複郭』の罫紙を使用していることが確認できた。
 『「池田光政所用品」の伝来と現状』(閑谷学校研究/第18号)で浅利尚民氏は、本池田文庫が池田家本家の所蔵であると推測されている。同様に本池田と印刷された罫紙は、池田家本家により制作・使用された用紙であろうと推測することは難くない。
 藩庁と池田家の事務方とがどのような関係であったかを把握していないので、本池田家専用であったと断定はできないが、組織が別個になった場合、兼用はむつかしのではないか。
『本池田印』および『記○○』の番号について
前記『「池田光政所用品」・・・』によれば、この印は、岡山大学や林原一郎へ移譲する前、池田家が所蔵していた時に押印されたもので、明治以降の近代池田家の所蔵になっていたことを示す。(ページ25から26)
同じく、『記○○』の付箋は、記録方で管理されていたことを示す可能性が高い(ページ41)。表紙に貼られているものがそれではないか。ただし、これらもより詳細な検討が必要であると思われる。
岡山藩庁は明治四年以降消滅したと思われるが、池田家は伯爵家として様々な事業を行っている。前記資料などから東京と岡山に拠点があったと推測しているが、詳細は未確認である。池田家岡山事務所による刊行物は蔵知矩著「備前岡山城」など数点を岡山県立図書館で確認している。
 
資料の同梱について
当文書は、「滝善三郎割腹始末書」(包)とともに、茶色の包に入っている。茶色の包の表には「記号廿番」「日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書」「兵庫一件始末書上 一包」と書かれている。この茶色の包は「兵庫一件始末書上」(包)とともにさらに別の包に入れられている。
(詳細は資料番号S-6 128 1-3 調査記録を参照
【参考資料】
  1. 定兼学.近世中後期岡山藩における留方下僚の存立状況.幕藩政アーカイブズの総合的研究.国文学研究資料館編、思文閣、2015年刊。ページ295から325
  2. 中野美智子.岡山藩政史料の存在形態と文書管理.吉備地方文化研究.1993,第5号,ページ93から119
  3. 浅利尚民.林原美術館紀要・年報.2008,3号,ページ31から61
  4. 「池田光政所用品」の伝来と現状.閑谷学校研究.2014,第18号,ページ23から35

【池田家文庫マイクロフィルム目録データベースシステムの情報】
分類名 国事維新(雑) S6 資料番号 S6-128-(2)リール番号 TSF-014

解読と口語訳

【解読】
 在間宣久、池内博、衛藤廣隆、奥村眞美子、田中豊
【口語文と注記】
衛藤廣隆
【文責】衛藤廣隆


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