日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書19

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日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書の19ページめ

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*** 解読文 ***

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御憐察候得共、無御拠御請被
仰上候ニ付、深キ
思召も被為在、格別之鎮撫被
仰付候間、其辺掛念不致
御国中末々迄、今後之
御趣意厚ク奉体認、聊も動揺
不致、為国家心得違無之様被
仰出候事
別紙
一 岩倉殿より御諭解之大概[注①]
此度、神戸之一条ニ付ては、嘸々其藩
一統苦心之程察申候、然ル処、於
朝廷も御同様之事ニ候、就ては彼是
三日も御評議ニ相成、遂ニ徹夜ニも
及候得共兎角不決、最早此上は
主上御叡断之外無之ト存、則


【注①】二月二日に岩倉具視から渡された文書である。当文書(復古記第一冊巻二十七ページ七九二) 次の解読文へ

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*** 口語文 ***

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憐れみ、同情されているが、やむを得ず御請申上げたのである。深いお考えにより、格別の鎮撫を仰せ付けられた。あれこれ懸念せず、御国中の末々まで、今後の御趣意を厚く体認奉って、少しも動揺せず、国家のために心得違いをしないよう仰せ出された。

  [〇岡山藩内の通達・別紙(岩倉具視からの諭解)]
別紙
一 岩倉殿からの御諭解の概略
この度の、神戸での一件については、ただただそちらの藩の皆々が苦心していることと察します。しかしながら、朝廷もご同様である。そのために彼是三日も御評議が続けられ、ついには徹夜にも及びました。しかし、なにやかやと決まらず、最早此上は、天皇の御叡断の外はないと思い、そして


【補注】
 彼是三日も御評議: 復古記にこの協議の記録が『〇春嶽私記ニ云』として記載されている(第一冊巻二十三ページ六六七)。それによると、朝裁の翌二十日、太政官に備前重役を呼び出して裁決の内容を伝えた。同記録に補記されている『備前侯モシ奉命無之候得ハ、御征討之御含ニ有之』のくだりまで言ったかは不明。岡山藩の記録には、未見。 次の口語文へ

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