日置氏の読みについて(検討)


 「日置」の読み方は、「ひおき」「ひき」「へき」の三通りがある。
 小松帯刀ゆかりの地である鹿児島県日置市は「ひおき」と読む。また、日置黙仙(ひおき・もくせん)という曹洞宗の僧侶もいた。
 和歌山県の白浜の日置川は「ひき」である。弓術の日置流は「へき」と読まれる。

 備前藩家老日置氏は、資料によって「ひき」「へき」の二通りで読まれている。日置氏の地元岡山の『岡山県大百科事典』では「ひき」とする。陣屋があった岡山市北区金川では、多くの人が「ひき」という。また、岡山市にあった日置氏の下屋敷の跡地は「ひきまち」と呼ばれた。
 いっぽう、池田家文庫マイクロフィルム目録データベース藩士奉公書(資料番号D3-3321)[奉公書抜書]の注記に「頭音:へ、と、を、わ、か、よ、た」とあり、そこに日置十左右衛門という名前がある。日置十左右衛門は岡山藩士である。金川の日置氏との関係は確認できていないが「へき」と読むと思われる。
 検討した結果、旧来は「へき」と呼称されていたが、途中から「ひき」と名乗ったと推測している。どの時点から「ひき」と名乗ったか不明であり、統一的にみるために、初代日置真斉以降全体を[ひき]氏とした。

 日置=「ひき」とする資料


 日置=「へき」とする資料

【補足】


参考文献

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