池田伊勢(政和)

西ノ宮警衛の出張総督。岡山藩家老。天城池田氏当主。
之丞、伊勢、貞彦。諱は政和(『新修倉敷市史』第三巻。頁一〇五)。衝突事件を起こした部隊の指揮官日置帯刀は、叔父にあたる。また、帯刀養子として日置家を継いだ健太郎は、伊勢の弟である。

略歴

 嘉永六年(一八五三)九月四日生れ、慶応元年(一八六五)に父出雲政昭の死をうけて若くして天城三万石を相続。家督相続とともに伊勢と改名。
 同人奉公書に西宮警衛、神戸事件についての記述がある。事件後、東海道先鋒を申付けられている。
 明治二四年男爵。大正六年三月没、行年六五歳。天城桜山に葬る。(『倉敷市史』第七冊、頁八二)

天城池田氏について

 池田信輝の孫である由之に始まる。池田氏の一族である。二代由成の時、池田輝政の移封に従い岡山に移転。下津井城に配されたが、寛永一六年(一六三九)年、天城に移り、国家老として陣屋を構えた。
 当初三万二千石、後三万石を領した。知行地の中心は児嶋郡。
 当主は岡山居住。屋敷は岡山城二之丸にあった。家臣も岡山と天城に分かれていた。
(『新修倉敷市史』第三巻、頁九九―一一〇より抜粋)

【参考資料】

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