三条実美(さんじょう・さねとみ)


尊攘急進派の公卿で維新の元勲。幼名福麿。六歳まで洛北の豪農楠六左衛門のもとで養育され、生家に戻って勤皇家富田織部の教育を受けた。嘉永七年(一八五四)昇殿が許され、安政二年(一八五五)右近衛権少将となり次第に尊攘派の中心公卿として活躍するようになっていった。文久三年(一八六三)の七卿落ちの一人。慶応三年(一八六七)十二月、王政復古により復位入京が許されると、議定に補され、前中納言と称されることとなった。翌年一月、副総裁となり外国事務惣督を兼ね、閏四月、関東観察使として関東の政務を統括した。その後の事蹟は略す。明治二十四年(一八九一1)没。
 三条実実が外国事務惣督であった期間は、慶応四年一月一七日より同二月二〇日までである。


【参考資料】

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