「伊達家記録写」と冠称が記述されている。事件当時外国事務総督の一人であり、京都に帰った東久世に代って事件の最終局面を指揮した前宇和島公、伊達宗城の記録のうち、神戸事件に関係したものの抜き書きである。
「伊達宗城在京日記」などと比較すると、この期間の伊達宗城の活動のごく一部だけが記載されている。転記者によって神戸での衝突と関係がないと判断されたところを抜かしていると思われ、本書だけでは誤解を招きかねない部分がある。必ず下記に紹介している資料などを参照すべきだと判断する。
なお、伊達宗城は岡山藩の使者に瀧の切腹を申し渡すとき落涙するなど、同情をあらわし、岡山藩側からの信頼も厚かったようだ。ただ、事件直後日置帯刀が説明のために宿舎を訪れたとき『兎角十日(十一日のまちがいか)の弁解ヲ専ら申無益ニ長談迷惑也』と記していたり(伊達宗城在京日記、慶応4年1月14日)、瀧の助命に関して岡山藩への対応を迷う部分(伊達宗城公御日記、慶応4年2月7日)もある。これらは、岡山藩が転記する際に落とされており、当文書にはない。
また、外交方として外国公使団の朝廷参内などにも力を注いでおり、何度も外国公使団と会談し、食事を共にしている。もちろんこれらの記録も落とされている。
この時期の伊達宗城の日記として、前記「伊達宗城在京日記」が日本史籍協会により大正五(1916)年に刊行されている。また、「御日記 慶応三四月より明治元二月初旬」が宇和島伊達文化保存会監修のもとに2015年に刊行されている。
池田家文庫に史談会編集による同名の資料があるが、明治40年の史談会のためのもので神戸事件について整理された記録であり、本文書とは直接的な関係はない。
【池田家文庫マイクロフィルム目録データベースシステムの情報】
分類名 国事維新(雑) S6 資料番号 S6-114 リール番号 TSF-013
【補記】
伊達宗城在京日記7巻、日本史籍協会編・出版、大正5年
全7巻中第7巻ページ670より神戸事件に関する記述が始まる。
国立国会図書館デジタルコレクションで公開している伊達宗城在京日記はこちら
伊達宗城公御日記-慶応三四月より明治元二月初旬-慶応四年三大攘夷事件関連史料 その1- [宇和島伊達家叢書3]
宇和島伊達文化保存会監修、近藤俊文、水野浩一編纂、創泉堂出版、2015年刊
伊達宗城公は瀧善三郎の死に際して和歌を詠んだ。平成29年12月現在、瀧氏の子孫の方が保有されているということである。
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