歩行日 平成28年10月07日(金)距離 約7.4キロ
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倉安川を渡った左側に題目碑がある。
中央に大覚大僧正と刻まれた石碑。右側に題目碑。髭文字で「南無妙法蓮華経」下に「日蓮大士」とある。左端のは常夜燈のようにも思えるが、よく分からない。
ここから1.8キロ先の百間川西岸まで一本道である。この道の南側は倉田新田で、往来はそれ以前の海岸線だった。
左写真の〇は、ブロック造の祠(横壁に政党の大きなポスターが貼ってあった)である。この先同じような祠をいくつか見た。

参考(1)沖新田開墾三百年記念史、沖新田開墾三百年奉賛会記念史編集委員会、平成7年。地図と「八十八ヵ所写真集」がある。
(2)沖新田四国88ヶ所霊場巡礼 ルートラボ。サイト確認:平成28年12月13日。
(3)沖新田八十八ヵ所案内図 平成5.7調 (操南公民館)
沖新田八十八ヵ所霊場の同定などは上記3点の資料をもとにした。
用水沿いを西に進む。調査報告7p5にある天保七年の供養塔を探したが分からなかった。
さきほどのT字路(86番のところ)から40メートルほど進んだところの青緑(?)のかまぼこ型屋根の二階建てがある交差点の少し先に85番札所がある。
黒く焼いた板壁の家の先にコンクリート製の祠(小屋にみえる)がある。東向き(百間川の方)に進むと手前の家の影に隠れているので見落としやすい。
左写真は振り返って撮ったもの。
建物の前道路側に指矢印の遍路道標がある。指矢印は北を指している。文字は「八十□番」と読めた。
側面はほとんど読めなかったが、文久二年三月となんとなく推測した。正しいかどうかまったく分からない。

その先右手に倉益歯科、左手に庄医院(内科小児科)、その先右手に庄整形外科、左手にザグザグ薬局山崎店がある。
その先右手の背の低い生け垣越しにコンクリート製の祠が見える。
最初は84番だと考えたが、このあと84番の札が下がったお堂があったので番外と考えることにした。ただし、前記写真集の84番は、このお堂にそっくりだ。
その先に進むと信号交差点がある。往来は直進だが右に曲がり40メートルほど進むと、用水(※)と交差する西側に、五角柱(ショウ儀型)の地神塔がある。交差点の対角に倉益公民館がある。
そこから数分歩くと、右手の民家のあいだに題目碑がある。「南無妙法蓮華経 日蓮大菩薩」「天保三壬辰年 倉益村宗門中」と刻んである。後ろに八十八ヵ所霊場の84番があることを考えると、奇妙な気がする。集めただけだろうか。それとも隣接しても気にしない?

題目碑の背面にある倉庫のような建物が沖新田八十八ヶ所霊場の84番である。ここも鍵がかかっていたが扉の硝子越しに写真を撮らせてもらった。

次の交差点、右の向かい角にゴミ置き場がある。往来は直進だが、分岐する用水と道に従って60メートルほど進むと正一位天満宮がある。
鳥居には天保十二辛丑□秋建立とある(□は読めなかった文字)。
正一位天満宮というのは神社名としては変わっているが、巡視に来た『一品親王(中御門天皇の第一子)』が「正一位」を授けたという(沖新田開墾三百年記念史p388-389に説明がある)。
一品(いっぽん)親王というのは、位階の名称で固有名詞ではなさそうである(Wikipediaで平成28年12月29日確認)。また中御門天皇の第一子は桜町天皇のようだが(同前)、この辺はまったく知識がない。
横に牛神の祠がある。中が写るようにフラッシュを焚いたせいか白っぽいが、灰色の石の祠である。祠の中に五角に見える石柱がある。正面に「牛神」右面「寛政十二庚申年」左面「六月廿三日祭之」(廿の下棒が見えない)と刻んでいるように見える。中には牛の焼き物(備前焼き?)がいくつか置かれている。

元の道に戻って進む。正一位天満宮への分岐から170メートルほど進んだところ、右に分岐する道がある(左写真)。
調査報告7の地図では往来は直進である。右に分岐する道は、沖田神社前まで南下する道である。
道を30メートルほど進むと、用水沿いの道の曲がり角に沖新田八十八ヶ所札所の83番がある。この用水は倉田の常夜燈のところからずっと続いてきたものだ。
札所の祠の横に、大小二柱の遍路道標がある。
大きい道標の正面(百間川に向いた方)には座像の石仏の下に「沖新田八十八ケ所霊處凡十四里 嘉永七年甲寅四月」などと読める。右側面には「直」という文字をまん中にして、「一宮 三里」「岡山」と読める文字があるので、位置関係を記していると思うが詳細は不明である。
現在の百間川の土手まで一面の水田が広がる。「沖新田東西之図」では、改修される前、現在の百間川は上流で二筋に分かれ、西側は宮川、東側は砂川を合わせて五間川と呼ばれていた。
ここまでの道の左右もかってはこのような景色だったのだろう。
堀替橋で百間川を越える。


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