[一]「先日指出候書付ト右境」:『復古記』では「先日指出候書付モ右境」。こちらの方が意味が通る。
[二]「御名家来 御名」:『復古記』では、「備前少将内 日置帯刀」である。
[三]「二月二日」および「御名」:「二月二日」以降の文章(「発砲号令の者を差し出すべしとの政府からの指示」)は、『復古記』第二十七巻、明治元年二月二日(内外書籍版、頁七九一)、『大日本外交文書』第一巻第一冊一二九(日本国際協会版、頁三〇五)に掲載されている。
「御名」に当たる記述が当文書を含め各資料で異なる。
〇『日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書』(池田家文庫 S6―128―(2))では、「御官名家来 日置帯刀」とある。
〇『復古記』では「備前少将家来 日置帯刀」とあり、『池田章政家記』によるとする。末尾に「按スルニ、前ノ二書ハ茂政ニ達セシモノニシテ、少将ノ二字日置ノ上ニ移シ、本文トナスヘキニ似タリ」と注がある。これに従えば「備前少将 家来日置帯刀、神戸通行之節(以下略)」となる。
〇『大日本外交文書』では、番号(一二九)と日付に続いて、文頭に「岡山藩家老日置帯刀ヨリノ上申書 神戸事件発砲命令者処罰御請ノ事」とある。そして一二七の項(頁三〇四)に「岡山藩家老日置帯刀ヘノ達書 神戸事件発砲命令者ニ割腹仰付ノ件」がある。これが政府からの命令書である。
『大日本外交文書』の記述に従えば、政府からの命令(一二七)に対する日置帯刀の請書がこの文書(一二九)である。当文書の記述では、命令書とそれに付した回答にも読めるが、末尾に、「下ニ御紙(中略)右御請奉申上候」とあり、これが請書であることがわかる。
『復古記』(前掲巻、頁七九〇)でも、政府からの命令(頁七九〇)およびこの文章(頁七九一)の順になっており、『池田章政家記』および『外務省記』によるとする。
当文書ではこの順が逆転しており、この配置が偶然なのか意図的なものかは不明である。
『大日本外交文書』明治元年二月二日一二九(国立国会図書館デジタルコレクション)確認:二〇一九年七月二七日。