先祖書(瀧源六郎)

概要

瀧源六郎先祖書の写真 日置家中、瀧源六郎正一の奉公書である。兵庫永福寺で切腹した善三郎は、瀧家の次男、源六郎の弟である。
 瀧家は、江州甲賀の出身で、赤穂藩、主松平輝興に仕えている。その後、浪人し、町医者になっている。再度姫路藩主、本多忠国に仕えた助六郎正臣を初代とする朱書がある。その後、本多家の移封に伴い、越後へ移ったが、忠孝の早世により減封となった折りに再度浪人している。
 初代から大砲役を勤めており、再度の浪人の時、砲術家として日置猪右衛門忠昌に見いだされ、享保5年御目見得、同6年に召し抱えられている。その後も代々砲術家であったようである。

作者及び制作年月日

 瀧源六郎によると思われる。明治2年9月の藩政改革により、陪臣の多くが本藩に召し抱えられた(岡山藩、ページ296)際に書かれたものであろう。さらに明治3年の追記がある。

【池田家文庫マイクロフィルム目録データベースシステムの情報】
分類名 藩士(奉公書) D3 資料番号 D3-1603 リール番号 TDC-174
(瀧善三郎を始めとして、兄源六郎、養子猛水、嫡男成太郞の奉公書の表紙はすべて人名漢字表の『瀧』であるが、同システムでは『滝』の字が使用されている。)

解読と口語訳

【解読】
 在間宣久、池内博、衛藤廣隆、奥村眞美子、田中豊
【口語文と注記】
(準備中)
【文責】衛藤廣隆


先祖書(瀧源六郎)

原文・解読文はこちら
口語訳は準備中

神戸事件の基礎資料 ( 古文書 )に戻る。