慶応四年神戸事件を考える

和親条約・修好通商条約の締結(慶応三年まで)


(1)条約締結国一覧

A.神戸事件の当事者である六ヵ国
〇アメリカ
日本国米利堅合衆国和親条約
(嘉永七年[安政元年]1854)
日本国米利堅合衆国条約(安政四年:1857)
日本国米利堅合衆国修好条約(安政五年:1858)
*南北戦争(1861―1865)
〇イギリス
日本国大不列顛国約定
(嘉永七年[安政元年]:1854)
日本国大不列顛国修好通商条約(安政五年:1858)
*①クリミア戦争(1853―1856)②アロー号戦争(1856―1860)③普仏戦争(1870―1871)
〇オランダ
日本国和蘭国条約(安政二年:1856)
日本国和蘭国修好通商航海条約(安政五年:1858)
〇フランス
日本国仏蘭西国修好通商条約(安政五年:1858)
*①クリミア戦争(1853―1856)②アロー号戦争/アロー号事件(1856―1860)
〇プロイセン
日本国普魯士国修好通商条約(万延元年:1861)
*①シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(デンマーク戦争。1864)②プロイセンは1867年に北ドイツ連邦を結成。1869年、「日本国独逸北部連邦修好通商航海条約」を締結する。
〇イタリア
日本国伊太利国修好通商条約(慶応二年:1866)

【補足】
・クリミア戦争で英仏がロシアに宣戦布告したのは1854年
・*は、特記事項。『世界史年表』(第二版、歴史学研究会編、岩波書店、2001)などを参照した。
・神戸事件当時の英国公使パークスは、アロー号事件のイギリス側当事者であった。


B.それ以外の国
〇ロシア
日本国魯西亜国通好条約(安政元年:1855)
日本国魯西亜国修好通商条約(安政五年:1858)
〇ポルトガル
日本国葡萄牙国修好通商条約(万延元年:1860)
〇スイス
日本国瑞西国修好通商条約(文久三年:1864)
〇ベルギー
日本国白耳義国修好及航海条約(慶応二年:1899)
〇デンマーク
日本国丁抹国修好通商及航海条約(慶応二年:1866)
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【参考資料】『幕末の駐日外交官・領事館』表一(頁66―67)をもとに慶応三年までのものを国別にまとめるなど一部表記を改めた。

(二)公使派遣と公使館等の設置

 条約の締結にあわせて、各国は日本に外交使節を派遣した。『幕末の駐日外交官・領事官』頁67―77によると、アメリカ総領事のハリス(後弁理公使)を皮切りに明治維新までに前記十一ヵ国の外交使節が任命され、信任されている。マカオ総督を兼任していたポルトガル大使を除き、大多数は横浜、または江戸に在勤していた。

 公使派遣にあわせて、各国は公使館、領事館を設置した。慶応三年十二月七日(1868年1月1日)にスタンレー外相からバークスに発令された訓令によると、この時イギリスは江戸に公使館(公使バークス)を置き、江戸・横浜・兵庫・大坂・長崎・新潟・函館にそれぞれ領事(兼担含む)を置いている(『遠い崖』六、頁99―102)。


【参考資料】

  1. 幕末の駐日外交官・領事官、川崎晴朗著、雄松堂出版、1988年オンデマンド版2008年
  2. 遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄―6、萩原延壽著、朝日新聞、2007年

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