切腹を前にしての瀧の言葉は、資料によって異なる。
イギリス公使館日本語書記官アーネスト・サトウは、瀧は自分の行為を「不法」とし、その責任を負って切腹する、と言ったとする。
「彼は、大分乱れていたが、はっきりした声で、―声の乱れは恐怖の念や、感情の動揺からではなく、自己の恥ずべき行為を渋々ながら認めざるを得なかったからであろう―二月四日神戸で、逃げんとする外国人に対し不法にも発砲を命じた者はこの自分にほかならぬ、この罪によって、自分は切腹すると述べ、この場の皆様にそれを見届けてもらいたいと言った。」(一外交官の見た明治維新(下)、頁一六四)
ミットフォードの『英国外交官の見た幕末維新(原題 "Tales of Old Japan"の部分訳)』(頁一三〇)でも「独りで、正当な理由なく」発砲を命じたとする。「独りで」は「独断で」の意味だろう。
また、新渡戸稲造の『武士道』(BUSHIDO the soul of Japan)はミッドフォードの"Tales of Old Japan"を引用し、“unwarrantably”としている。
このように外国側の記述は、瀧が不法な行為を行い、それを後悔(あるいは認めた)とする。
『兵庫一件始末書上』では、無法の所業を行ったのは外夷(外国人)であり、仕方なく兵刃を加え、その勢いで発砲を号令した、とする。
さらに、王政復古により政治向きが一新され、宇内の公法をもって裁かれることになり、割腹を仰せ付けられた。と主張する。旧来の法であれば自分の行為は正当だと言っている。
〇兵庫一件始末書上 池田家文庫 資料番号 S6―128―(3)
本人一応双方江会釈直ニ座ニ付、大声ニ而各国人江向ひ申陳ふ
去ル十一日神戸通行之節、外異無法之所業ニ及候故、無拠加兵刃、即其挙ニ乗し発砲号令致候者拙者也、然ル処今般御復古御一新之折柄、宇内之公法を以御所置被遊割腹被仰付候ニ付、則割腹致謝罪候間、篤与御検証可被下候」
両者の違いがなぜ生じたかは不明である。『兵庫一件始末書上』は、現場に立ち会った岡山藩京都留守居の沢井が藩庁への報告のために直後に書き留めたものである。の翻訳者の意図が反映した可能性がある。サトウの“A diplomat in Japan”は日記などをもとにした回顧録、ミットフォードの"Tales of Old Japan"も同様である。
筆者としては前者の記述が正確だと考える。また、外国側検証人の日本語力はサトウを除き、それほど高くないと思われる。外国人検証人の一人であるイタリア人サヴィオがイタリア公使ド・ラ・トゥールに報告した資料神戸事件」(1868年)とイタリアー瀧善三郎の「ハラキリ」を目撃するイタリア人ピエトロ・サヴィオの報告書を中心に―/ジュリオ・アントニオ・ベルテッリ著/イタリア学会誌 第61号/217―236)では瀧の言葉をサトウが翻訳してくれたとする。