岩下方平と寺島宗則

岩下と寺島とはこの二人のことと思われる。

岩下方平(いわしたまさひら)

 岩下方平は通称、佐治右衛門・左二などとも名乗った。禄高百七十八石の薩摩藩士である。井伊大老除奸の同志の首領に推されるなど尊皇攘夷派として活動。慶応元年家老。薩英戦争後の和平交渉に重野安繹とともに当たった。慶応二年パリ万博に際し、薩摩藩使節として渡仏。王政復古に当たって西郷隆盛、大久保利通と共に参与に任ぜられた。明治元年(慶応四年)二月外国事務局判事。後、貴族院議員、子爵。(明治維新人名辞典)

寺島宗則(てらじまむねのり)

 松木弘安。通称は 寺島陶蔵。薩摩藩士。安政三年幕府の蕃所扱所教授手伝、文久元年幕府使節団に参加して渡欧。慶応元年薩摩藩遣英使節団員として渡英。明治元年(慶應四年)正月参与外国事務掛となる。のち、イギリス特命全権大使、伯爵。(明治維新人名辞典)

【参考文献】
明治維新人名辞典、日本歴史学会編、吉川弘文館発行、昭和56年

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