ジョン・フィレデリック・ラウダー

 John Frederic Lowder。幕末から明治にかけてのイギリス外交官のち明治政府雇用。さらに法廷弁護士として活躍。
 神戸事件当時は兵庫代理領事である。

 その後、1870(明治3)年に賜暇で帰国するまで日本勤務。その間、長崎領事館、大阪副領事、兵庫代理領事、新潟代理領事、横浜領事を歴任。長崎領事館勤務の1864年、四国連合艦隊の下関砲撃の際には通訳官として派遣されている。
 1872年に再来日するまでに、本国で法廷弁護士の資格を取得した。
再来日後は、外交官にもどらず、明治政府に雇用され、横浜税関を中心に法律顧問などを務めている。

 税関顧問在勤中の1877年、ハートレーによるアヘンの輸入を条約違反として摘発し、税関長とともにイギリス領事裁判所に提訴している。その間、司法省の顧問も兼ね、1886年にはノルマントン号の沈没事件で日本政府側の弁護士を務めた。1887年、政府から勲三等旭日中綬章を贈られた。
 1889年以降は法廷弁護士として活躍。1902(明治35)年没。享年58才。
 「資料 御雇外国人」を除く下記資料では『ラウダー夫妻』として取上げられている。また、「横浜外国人・・・」では、『兵庫領事代理』とするが、「遠い崖/6」にあわせ、『兵庫代理領事』とした。


【参考資料】
・よこはま人物伝、横浜開港資料館編、神奈川新聞社発行、かなしん出版販売、1995刊、ページ198-201。
・横浜外国人墓地に眠る人々―開港から関東大震災まで―、斎藤多喜夫著、有隣堂、平成24年刊、ページ29-32。
・遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄―/6、萩原延壽著、朝日新聞社、2007年刊。ページ100、154-158。

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