ハリー・スミス・パークス(英国公使)

Sir Harry S.Parkes。幕末から明治にかけての駐日公使。特命全権公使兼総領事

 アロー号事件の時パークスを広州領事とする資料もある。(衛藤瀋吉著作集第四巻、東方書店、2003年刊。ページ47)。
 神戸事件では、他の5ヵ国の公使とともに当初東久世通禧と、その後伊達宗城と協議する。幕末では新政府側を支援した。
 瀧善三郎の助命に関する最後の協議では、オランダ公使とともに寛大な処置を主張したが、処刑派の決に従った。
 事件後の3月23日(慶応4年2月30日)に朝廷へ参内の途中で、襲撃を受ける。
 その後も賜暇や妻の病気・死去のため幾度か帰国するが、1883年まで日本駐在公使として活動した。


【参考資料】
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