Dirk de Graeff van Polsbroek。幕末から明治にかけてのオランダ外交官。総領事兼外交事務官(「幕末の・・」ページ131)
1833年8月28日、アムステルダムに生れる。オランダ領東インドでの公証人事務所勤務、文化省書記官などとして働いたあと、1857年オランダ商館(長崎出島)の第二補助官として、来日。1859年退職して、商社を設立、同年神奈川へ移住し、横浜副領事代理(「ポルスブルック・・」ページ147では副領事)となる。1863年在日オランダ総領事・外交事務官、1868年弁理公使になる。休暇で帰国したあと、1870年辞任。1885年貴族の称号を与えられ、1916年没。
回顧録および日記が「ポルスブルック日本報告-1787-1870」として刊行されている。このなかに瀧善三郎が切腹したときに立会った第一書記官クレインティエの報告が収録されている(ページ222)。