萩藩(長州藩)祖式縫殿嫡子。一四歳で家督を相続。祖式縫殿は、知高、六百七拾石五斗一合。厚狭郡稔小野住
神戸事件のあと、慶応四年閏三月総督府内参謀となる。
東山道先鋒総督府東征軍内参謀として、前橋へ進軍。『志士の行方』(頁五〇―五二)によれば、総督府に無断で専横な権力者として振る舞い、二ヶ月で罷免される。以下、同書の一部を引用する。
祖式金八郎は総督府という虎の威を借りて強権を振うだけの無能な指揮者であった。祖式の内参謀任命は、地方政権であった薩摩・長州藩が全国政権となりはじめたために急激に組織が拡大した非常事態による例外的な発令であり、祖式は萩藩における名門意識から、総督府内の指揮者の意向を無視して理不尽な独断専行を行ったのである。(頁五―五二)
【参考資料】〇防長回天史、第六篇上(第十)(国立国会図書館デジタルコレクション)