大村の首塚

長崎路



 俵坂峠の国境石を見て、長崎路に入った。大浦湾を眺めながら海沿いの山道を歩く。長崎路は海沿いでも海岸を歩くことはほとんどなく、高台を歩く。
大村に入ると、かってのキリスト教弾圧の遺跡(上の写真は首塚)が目に入る。同時に日蓮宗の題目を書いた石碑(千部経や万部経)もある。岡山にも同じように「南無妙法蓮華経」と彫られた石碑があった。 題目石と呼ばれていた。大村藩主の墓石の巨大さも、キリスト教の禁止と関連があるそうだ。
鈴田峠で一度道に迷い、畑と藪の中に紛れ込んだ。あのまま進んでいたら結構危なかったかもしれない。すぐ近くにあった看板を見落としていた。その後の尾根道は楽しかった。 諫早の永昌宿跡で、前半は終わりとした。
後半は11月になって永昌宿跡から出発した。ここでも坂、坂の連続だった。峠と名前がなくても上りと下りがある。夜行バスで着いてすぐ歩いたのと、日没が早いので大事をとって初日は 矢上の番所橋で切り上げ、日見峠越えは次の日にした。少しずつ道に迷って、その度に戻り、日見峠を三度上り下りした(頂上までは一度だけ)。
「長崎街道ここに始まる」の碑は商店街の一角に立っていた。その後、旧長崎奉行所西役所跡(現在長崎県庁)を経由して、出島跡を見学した。最後に長崎港まで行った。大里(門司)の 海から始まった長崎街道歩きは、長崎の海で終わった。 長崎港では鯨に関する催しがあった。鯨のちまき、というものを売っていたので買い、立山役所跡にある長崎県立歴史文化博物館を見学した。
長崎路 合計 45.1キロ(佐賀県境から竹松までは便宜上佐賀路へ入れている。これを加えれば67キロが長崎県内のキロ数となる)
km(距離)は「長崎街道を行く」の記載を基準としたが一部万歩計で測定した歩行距離を記載。今後整理する。

長崎路歩行記録

※俵坂〜松原は、佐賀路へ収録しています。

長崎路歩行記録<松原-大村-諫早-日見峠-長崎港までの里程図
宿間里程は、「日本街道総覧」(宇野 脩平編、新人物往来社)を参考に算出。

平成26年 6月 9日(月)

出発 竹松 8時08分 到着 諫早 14時28分 歩行距離 15キロ
始点は、竹松駅入口交差点。終点は永昌宿石標。鈴田峠越え。

平成26年11月21日(金)

出発 諫早10時17分 到着 矢上 19時00分 歩行距離 16.1キロ
始点は、永昌宿石標。終点は、中尾入口交差点からの道と旧街道が交差する所。長崎県営バス停留所「番所橋」から諫早へ戻り、駅そばで宿泊。
万歩計の歩数、24,821歩。17.4キロ

平成26年11月22日(土)

出発 矢上 9時 2分 到着 長崎 16時38分 歩行距離 14キロ
始点は、中尾入口交差点からの道と旧街道が交差する所。終点は、長崎港。
万歩計の歩数、37,728歩。26.41キロ。博物館見学、大村駅からそば正までを含む。 旧日見トンネルの入り口左からではなく、右から上り始めて芒塚へ到った(バス停「芒塚」手前の小さなトンネルで長崎道をくぐったため、すぐにトンネルの上を越えたと思われる)。 他の目印も全部確認して、日見峠の頂上に到った。しかし、何度も資料やネットの写真で確認した日見トンネル(正確には旧日見トンネル)の横の階段を通った記憶がない。 どこかで道を間違ったのかな、と思いながら下った。途中の新茶屋跡(明治に一時移された方)にあった自動販売機でジュースを買ってベンチに座って呑んだ。 家族に電話もした。さらに下ってから止まっていたタクシーに日見トンネルの入り口について聞いた。タクシーでトンネルを抜けて矢上側へ行くと数百円(6百いくらだった) ということだったので、矢上側へ戻った。写真で見たトンネル入り口左横に手すりパイプのついた階段があった。前に通ったときは見ていないが、風景には見覚えあった。さらに道を戻ると、芒塚バス停があり、その先に僕がくぐった長崎道の小さなトンネルがあった。その先はトンネルの上を通って芒塚へ向かう。 確認してからトンネル右手の階段(正しい道)を上った。ただ頂上へは行かず、明治新道の峠を歩いた(頂上はもう上っていたから)。
そして、気分良く歩いた。しかし、何かがおかしい。本河内高部、同底部水源地と離れたところを行くのだ。そして、カトリック教会や聖母の騎士高校へ向かう道の標識に出会って間違いを確認した。 そこから戻っていった。国道を横断し、水源地の横をまた日見峠に向かって登っていく。国道を陸橋で渡り返し、もう一度日見峠を登った。 どんどん上った先は、一番最初にジュースを飲んだ明治の新茶屋跡だった。説明板に小さく道が書いてあった(この辺は説明板はあまり見ていなかった)。それからまた下って行った。 目印がすべてあった(当たり前)。ただし、水源地そばにあった道標はなかなか見つからず、何度も探し回ってやっと見つけた。移転されていたようだ。
都合3回、日見峠の頂上付近まで上り降りしたことになる。疲れはそれほど感じなかったが蛍茶屋に着いたときは、さすがにほっとした。そこでおにぎりの昼ご飯をやっと食べた。 警句:地元の人が正しいことを言うとは限らない。
蛍茶屋から長崎港までは、あちこち歩き回った。長崎駅からJRで大村へ向かい娘夫婦が営むそば屋(そば正)で一人乾杯。

平成26年11月23日(土)

大村・諫早を歩く。諫早は多良街道の飛び石渡りや眼鏡橋を見た。

旅のアルバム

基  本  文  献

福岡路・佐賀路と同じ文献も多い。

1)長崎街道:肥前長崎路 (九州文化図録撰書3)

 図書出版のぶ工房 編・発行 2007年(2版)。基本的に2万5千分の1の地図を縮刷している。この地図だけで歩くのは難しいが、全体を見渡すのに便利。 その回に歩く予定地域の地図をコピーして、切り貼りし全体を把握した。写真が美しく、歩いたあとにも楽しめた。Amazonでは新刊は入手不可(2014年4月現在)だったが、出版社のサイトから入手できた。

2)伊能図で甦る古(いにしえ)の夢 長崎街道

河島悦子 著 ゼンリン地図製作・販売 1999年(2刷)
歩くのにはもっとも適した資料である。ただ、平成26年5月現在、新刊は刊行されていない。古書価格はかなり高い。復刊が望まれる。
情報がやや古いので、インターネットの地図情報で補填した。この資料は長崎街道全体について記述されている。

3)長崎街道(下関−山家−長崎) (街道を歩くI)

中山高安 著・出版 2001年(2刷)。退職後街道歩きを始められた方の自費出版。全国多数の旧街道を歩かれ、記録を刊行されている。地図は簡略版だが、説明が詳細。

4)長崎街道を行く

松尾卓次 著 葦書房 2001年(2刷)。長崎を出発点とするので、逆の読み込みが必要。地点ごとの距離(キロ数)が書かれているので利用させていただいた。

5)長崎県歴史の道(長崎街道)調査事業報告書 長崎街道 (長崎県文化財調査報告書 第154集

発行 長崎県教育委員会 200年。歩くことを目的としたので、上記の資料中心だった。今後整理するときに利用したい。

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