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吉備温故では官道及び古跡で「ゑどう」について次のように記述する。
巻之三十五 古跡上
一、御野郡(群書集成八 二〇九頁) ゑとふ北方村の枝。宇喜多の臣遠藤河内が宅地の跡あり。里民此所をゑとふと唱ふ。
此宅地の南に、西へ流るゝ小川あり。里民三野川といふ。夫より渡せる橋をも又ゑとふ橋といふ。
按ずるに、遠藤を中略してゑとふと云習はすものと見へたり。
巻之三十五 古跡上
一、御野郡(群書集成八 二〇九頁) ざず川 上伊福村の内。 村前を流るゝ小川なり。三野川の末なり。又座主川とも書由
「ゑどう」と「ゑとふ」と表記が若干異なるが、同じ地域を指すと思われる。津山往来が倉敷往来から分岐して、県道27号線を越え、さらに県道386号線を横断して、半田山への道に入った左側に「東江道町内会集会所」がある。また、半田山植物園と半田山大坂(半田山霊園方面)への分岐点にある公園が「江道遊園地」であることから、この一帯が江道であると判断した。そして、27号線を超えたところで渡った用水を座主用水であると判断した。
書きかけ項目:新たな情報があれば追加・修正します。
御津郡御津町中山にある日蓮宗の寺院。山号は臥龍山。京都妙覚寺の末寺でもとは金川の城郭三の丸(道林寺丸ともいう)にあったが、永禄11年(1568)落城後現在地に移った。(中略) 寛文年中(1661~1673)の岡山藩による寺院整理で末寺30数ヵ寺はことごとく整理されたが、道林寺だけは残された。
寺宝として大覚大僧正持参の妙見菩薩(伝教大師の自作と伝える、日像改根)がある。現在ある恭愍(きょうびん)院と妙見堂、本堂、鐘楼、山門はいずれも江戸時代中期の建造。
(岡山県大百科下p289による。なお、同寺のサイトでは、金川城落城の後の再興は天正17年(1589)である。)
御津町は平成17年岡山市に編入。岡山市北区御津となり、御津郡は平成19年、建部町の岡山市編入に伴い消滅)。
臥龍山 道林寺 日蓮宗ポータルサイト(サイト確認:平成28年7月15日)
金川城(玉松城)落城から平成28年の今日まで448年が立つ。現在の金川、城山の道林寺丸跡には、道案内の看板があるのみで何も残っていない。(寺院跡はもう少し南のようだが、藪で見えない)
中山信号から東に向かって川を渡り、坂を上る。
100メートルほど進むと、十字路があり、右のカーブミラーの手前に道標がある。道標は登り道に向ってあるので、前に行かないと文字が読めない。
道標には「右 道林寺 妙見道」と書いている。
道標の示す通り右の道を進む。この日は近くの鳴瀧神社の祭礼日で、提灯などを飾った門があった。
右写真はその先の分岐。右に行くと鳴瀧神社。道林寺は左。
すぐに道林寺山門がある。
山門左右の仁王像は説明板では『明治三十年(1897)に書かれた「仁王尊縁起」による』として次のようにいう。『松田元隆(1535年没)が [略]大永年間(1521~1548)に仏師の多賀十郎に命じて造立し、[略] 玉松城三の丸内の道林寺に遷されたとされる。(以下略)』
門前の題目碑には「南無妙法蓮華経」と題目が刻まれた右側面に「後五百歳廣宣流布」とある。帰ってネットで調べたところ法華経の文言であるようだ。
左写真が本堂、右写真右側が鐘楼。
左写真は本堂の横にある建物。上記道林寺のサイトで「妙見堂前には北をお守りする玄武が置かれ」とあるので、前に石造の亀が一対置いてあるこの建物が妙見堂だと判断した。恭愍院はどこにあるかよく分からなかった。本堂の床下に修理以前のものか鐘楼などの鬼瓦や鯱瓦が置いてあった。
宝篋印塔と板碑。御津町史p800-801によると、宝篋印塔は松田元方の墓塔である。死後407年後に、大村勘兵衛が建てたということが隣りの板碑に刻まれているという。もしかしたら裏から撮ったかも知れない。
さきほどの防火水槽のところで右に折れず、まっすぐ進むと、すぐに道はまた二つに分岐する。分岐点で右手を見ると「八百屋お七の墓」と書かれた看板がある。看板の上の高台の上に小屋があり、その中に八百屋お七の墓があるという。小屋には手前の民家の横(東側)の小道から上ることができる。さきほどの題目石の先からでも行くことができるが、やや遠回り。
八百屋お七が恋した生田庄之助と会いたい一心で火を付けて火刑になって死んだという話は、管理人もいつの間にか記憶していたが、墓がこんなところにあるのは意外であった。
説明板には、お七をそそのかした吉三郎という男が反省して「お七の遺骨を持って供養の旅に出て、野々口・小山村で亡くなりました。村人がここに二人の墓を建てたということです。左側の三角形のものがお七の、右側の長方形のものが吉三郎の墓です。」とある。なお、お七の墓は他にもあるようだ。
八百屋お七墓(円乗寺)文京区のホームページ(サイト確認:平成28年7月23日)。レファレンス事例詳細 レファレンス共同データベース(国立国会図書館)(サイト確認:同前)