下関の庚申塚

山口路




 小瀬川を両国橋で渡ると、山口県に入る。古代の周防国である。小瀬峠を踏み越えて、関戸宿へ進む(早めに切り上げ、西国街道から外れて錦帯橋を散策)。
旧街道は岩徳線につかず離れず静かな山間の道を歩く。欽明路峠をはじめ、いくつか峠がある。
海に向かって進み、山陽線と出会った。防府天満宮を参拝し、山頭火の生家跡を訪れた。 周防長門の国境を越える頃は満開の桜だった(上の写真は、下関の庚申塚。山口では庚申塚をよく見た)。高杉晋作や吉田松陰など幕末のゆかりの地や記念碑も多い。
長府を過ぎ、下関に入った。関門海峡の海と橋が見えたときは感動した。海に向かって馬関戦争の大砲のレプリカが並ぶ。
金子みすずゆかりの上山文英堂は表示だけがある。そして、永福寺に到着。西国街道第一期として岡山から下関までを歩いた旅は終わった。
・下関到着後の4月15日、関門トンネル(人道)を通って、門司を訪れ、また巌流島へ渡りました。
・山口路は歩けない道はありませんが、やや起伏に富んでいます。ある程度体力があれば歩いて楽しい道と言えます。
・中国路の終点としては諸説ありますが、我々は下関市永福寺下を、終点としました。「赤間が関」という表現が使われることも多いのですが、 五駅便覧及び道中方覚書では、宿として「下関」と記述しているので、それにならいました。
山口路合計 154.2キロ 9日

山口路(御庄から下関)歩行記録概略

山口路歩行記録。柱野-米川-周防花岡-戸田-天満宮下(防府)-四辻-嘉川-厚狭-小月-下関までの里程図
宿間里程は、「五駅便覧」(近世交通資料1、駒沢大学近世交通史研究会、1979)による。 「道中方覚書」(近世交通史資料集10、吉川弘文館、1980)では、久保市-花岡は1里と記載。【要調査事項】 「五駅便覧」の宿名のうち、<姥坂>は<呼坂>、<久保田>は<久保市>に変更した。確認は、基本文献1の地図によった。 <姥坂>は「道中方覚書」でも同様に記載、<久保田>は<久保市>と記載されている。 五駅便覧、道中方覚書の両書とも、大里を「周防」をと記述するが「豊前」に改めた。 また、五駅便覧では、最後に「是より豊後の国小倉」と書かれているが、道中方覚書では、豊前と記述されている。前者が誤記だと判断している。
(柱野-関戸は広島路に記載しています。)

平成26年3月 3日(月)

出発JR柱野駅 10時00分   到着JR米川駅  16時05分 歩行距離 17.5キロ (終点は岩国市周東町差川)

平成26年 3月 4日(火)

出発JR米川駅  8時40分   到着JR周防花岡駅  14時30分 歩行距離 16.1キロ(終点は下松市末竹上)

平成26年 3月10日(月)

出発JR周防花岡駅 10時05分   到着JR戸田駅 16時11分 歩行距離19.0キロ (終点は周南市夜市16時)

平成26年 3月11日(火)

出発JR戸田駅  8時15分   到着天満宮下 13時30分 歩行距離17.0キロ (この後天満宮、山頭火生家見学し、JR防府駅より帰岡)。

平成26年 > 3月24日(月)

出発天満宮下(防府) 10時30分  到着JR四辻駅 16時32分 歩行距離14.0キロ(終点は山口市鋳銭司に16時)

平成26年 3月25日(火)

出発JR四辻駅 7時20分  到着JR嘉川駅 11時10分 歩行距離11.3キロ (終点は山口市嘉川)

平成26年 4月 7日(月)

出発JR嘉川駅 9時50分  到着JR厚狭駅 17時30分 歩行距離24.6キロ (終点は山陽小野田市厚狹)

平成26年 4月 8日(火)

出発JR厚狭駅 8時25分  到着JR小月駅14時 5分 歩行距離16.2キロ(終点は下関市小月茶屋)

平成26年 4月14日(月)

出発JR小月駅 10時40分   到着下関市観音崎町 18時00分 歩行距離18.5キロ

旅のアルバム(画像が多いので開くのに少し時間がかかるかも知れません)

発着時間記録:高田氏 距離測定:二反田氏、ホームページ作成:衛藤
・km(距離)は出発点から到着点までの基本距離をyahoo地図により測定した結果です。我々の歩行は直線的でなく、ときには行きつ戻りつし、 ときには横道にそれたこともあります。それを前提に参考にして下さい。

基本文献

1)歴史の道調査報告書 2 山陽道 

山口県教育委員会発行 1983年3月発行
歴史、高低差、参考資料などの記載が充実しているが、その分「歩くための資料」としては、読み解くのが大変である。
また、地図の色が薄く、判読が難しく、発行年月もやや古い。高田氏が本資料を読み、2万5千分の1の地図に落とし込み、 二反田氏がyahoo地図などで新しい情報を加え、衛藤がインターネットや書籍の歩行記録から情報を補填した。広島あたりから、何となくこの役割分担ができた。
広島路へ
西国街道トップにもどる
街道歩きトップにもどる