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兵庫日記の2番目のページ

 翌八日の早朝に信太郞が宿に帰って来た。朝食の後に宇和島公の御本陣に向かい五代才助に面会し、昨日要望された朝廷からの通達書類を渡した。
 午後に宿へ帰った。御徒目付と色々相談することがあった。
 夜になって、宇和島藩の重役である須藤但馬から、出頭するようにとの通知が急に届いた。
 すぐに信太郞と二人で赴いたところ、須藤とは入れ違いになり、五代と面会した。
 「今日の午後宇和島公が各国公使と協議された。いよいよ明日九日夜に兵庫の寺院に於いて兼ねて朝廷よりお達しがあった通り、執行されることとなった。知っておいて欲しいので、内々に通達しておく。なお、正式には明朝九時頃に宇和島公の御本陣へ出頭するように。」と伝えられた。
 二人ともすぐに帰り、中堀惣左衛門ほか担当の者達に諸事を相談した。

 九日朝九時頃、我々二人は宇和島侯御本陣に参上し、十時頃伊予守様(宇和島公)に拝謁を仰せ付けられた。
 説かれたこと
 「このたびの神戸での事件については、前から朝廷が通達されていた通り、公法に基づいて処断される。本来東久世殿がこちらにいらっしゃって処置されるべきところであるが、京都での公務がご多忙につき、私がこちらに赴いた。この件に関し、昨日八日に各国の公使と協議し、いよいよ今日九日午後六時過ぎ兵庫表の寺院で執り行うこととなった。そう心得よ。」


 別におっしゃったこと
 「誠に、この度のことは貴藩にとって、何とも気の毒千万なことである。我々も、できるだけ心を配り、何としても死罪を逃れられるように取計らいたいと、力を尽くしたが、誠にやむを得ないこととなった。人情においては耐えがたいことであるが、すべては朝廷のため、国家一家の為を思い、潔く決断致されるべきことである。

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注記と補足  

【人物】
須藤但馬 中堀惣左衛門

【補足】
東久世の不在について。

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