つぎにすすむ兵庫日記 口語訳 1まえにもどる

兵庫日記の1番目のページ

          兵庫日記

 二月七日昼前に、私こと澤井権次郎と下野信太郞の二人が運上所に伊藤俊介と五代才助の二人を訪ねた。不在だったので、英国公使館に行って、五代と面会した。
 衝突後の処理がどこまで進んでいるか尋ねたが、「未だ決定していないので、本人の宿を決めて、留め置くように」と指示された。
 直ちに旅籠町 桝屋長兵衛方に旅宿の手配をした。その後、我々はすぐに神戸東門に向かい、門外で瀧善三郎の到着を待った。

 午後四時頃に到着し、手配していた宿に向った。
 護送隊のうち原田権左衛門 の足軽隊は宿からすぐに西宮へ帰った。しかし、小監察配下の御先徒一隊、池田伊勢殿から派遣された護送隊、日置帯刀殿から派遣された付添いの者達は居残って、善三郎の警固に当たった。

 夜になって宇和島公の御本陣に伺って、進捗状況をお尋ねした。
 「今日は神戸での一件についての応接がなかった。いずれ明日のことになるだろう。」ということだった。さらに「朝廷からの通達書類を拝見いたしたい」と言われたが、持ち合わせてなかったので、信太郞が西宮に取りに帰った。

このページの原文と解読文を読む


注記と補足  

 横線のある各項目をクリックすると、注のリンクにとびます。以下口語文のページでは同じです。のある各項目をクリックすると、注のリンクにとびます。以下口語文のページでは同じです。
【人物】
澤井権次郎 下野信太郞 伊藤俊介
五代才助 原田権左衛門 池田伊勢殿
日置帯刀 宇和島公
【事物と地名】
運上所 英国公使館 旅籠町 桝屋長兵衛方 神戸東門

【補足】
(一)江戸時代の時刻は旧暦二月下旬頃の時間を基準にした。以下同じ。
【参考】江戸時代の時刻
(二)「小監察御先徒」は、「兵庫一件始末書上」の記述から徒目付中堀惣左衛門と彼が引き連れて来た徒八人と思われるが、確証が得られなかったのでそのままとした。

つぎにすすむ兵庫日記 口語訳 1まえにもどる