滝[瀧]善三郎割腹始末書

概要

 標題は、包の表書きである。この包は『S-6|128|1-3』のラベルが貼った別の封筒に他の2種類の文書と一緒に包まれている。
 詳細は岡山大学附属図書館の資料番号S6-128の調査報告を参照

封の写真 左の写真の左側が包である。折り曲げてあった上下を開いている。包の中には数葉の紙を紙縒(こより)で綴じた右側の「兵庫日記」が入っている。右上一箇所を軽く綴じているだけなので、竪帳とせず綴りとした。
 綴り「兵庫日記」の内容は、二月七日から同十日までの神戸事件の折衝を中心とした記録である。「兵庫一件始末書上」と内容がかなり重なる。特に瀧善三郎が切腹する際の発言が同書と同じであることが、同一の著者の手になると推測する根拠である。(復古記、大日本外交文書、外国外交官の回顧録に記載されているものと異なる)。

 包、綴りにそれぞれラベルが貼ってある。ラベルは資料番号を表記しており、一番上が分類を表わす記号である。池田家文庫マイクロ目録データベースで確認した範囲ではS6は国事維新(雑)である。資料の採寸をしていないが、一般的な三段ラベルが(高さ)26mm、(幅)22mmなので、それと比較していただきたい。

ラベル  包に貼ってあるラベルは図書の分類順排架に使用される一般的な三段ラベルが使用され、三段目に『池田家文庫』と書いてある。
 一方、包の中身である「兵庫日記」のラベルは「兵庫一件始末書上」などと同じく枠外に『池田家文庫』と印刷してある特注品である。

本資料の問題

 この資料には次の疑問点がある。

  1. 包の表書きとそれに包まれていた綴りの標題が異なる。それも、一部を省略したというものでなく、全く異なる。
  2. 包と綴りで貼ってあるラベルが異なる。連続的に作業する場合は起こりにくい現象である。

 封と中身が何かの理由で入れ替わった可能性を検討してみた。漠然と二つを並べて見た範囲では文字の感じは似ている。しかし、個々に見ると、包の表書きに比べ中身の文字は少し角張っている。

表書きと中身の文書の比較。始末という字を並べているがかなり違う 左写真の左側は、封の表書き。右側の下は一頁めの標題の『始末』と『書』、右の上は文中の『善三郎』(これはマイクロフィルムからの印刷、補記なので字が小さい。なお同文書は紙縒で簡単に綴じただけのものだったので、破損の可能性を考えて中は閲覧しただけで写真を撮っていない。原文画像は岡山県記録資料館のマイクロフィルムより印刷した)。
 もう一つ気になるのは、澤井権次郎が岡山藩(藩庁)を代表して新政府に提出した文書は標題に責任者名が来る場合、『日置帯刀・・・』としていることである。それは新政府から出された文書に関しても同じである。散見する範囲では『瀧(あるいは滝)善三郎・・・』という標題の文書は何らかの形で日置家が関係しているものである。(これは別途調査予定)
 いずれも若干の調査をもとにした感覚的な推測である。「兵庫日記」の内容に直接影響することも考えられないので、今後の課題としておきたい。

作者及び制作年月日

 内容の重なりから、作者は「兵庫一件始末書上」の包に記名のある澤井権次郎であると推測している。澤井権次郎は慶応三年十二月に岡山藩留守居に任じられている(史料草案巻二十)。そのため、神戸での衝突後の政治折衝に当たった。
 制作年月日は不明であるが、作者が澤井権次郎ではないか、という推論が正しければ「兵庫一件始末書上」の基本になった資料ではないかと思われ、その場合瀧の切腹前後だと思われる。

【池田家文庫マイクロフィルム目録データベースシステムの情報】
分類名 国事維新(雑) S6 資料番号 S6-128-(3)リール番号 TSF-014

【補記】

  1. 澤井権次郎についてはここ
  2. 瀧善三郎を始めとして、兄源六郎、養子猛水、嫡男成太郞の奉公書の表紙はすべて人名漢字表の『瀧』であるが、ここでは文書の通り『滝』と記述し、『瀧』の字を補記した。

解読と口語訳

【解読】
 在間宣久、池内博、衛藤廣隆、奥村眞美子、田中豊
【口語文と注記】
衛藤廣隆
【文責】衛藤廣隆


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