日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書 8

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日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書の8ページめ

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*** 解読文 ***

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忿怨を不[注① 挟カ]、従容就死之程頼思ひ候、跡式之儀ハ
深き趣令[注② 意カ]も有之、格別ニ取立遣し候間、是又
懸念致間敷、実ニ馬前之討死ニも相勝り、忠臣と
可申、一入憐ミ思ひ候
一 五百石上、倍之知行被下候事
但 右下は五百石被下候事[注③]
一 忰ニて(ベツ)勤之者ハ親へ右之通被下候事
一 親伜とも無之者ニ候ハハ本人内存之者承置候事
一 男子両人有之候ハハ、伜被召出、次男日置家ニて
名跡之事

翻訳文[注④]
以書状致啓上候、然は、去ル十一日、松平御名家来
神戸町並外国人居留地通行之節、不意ニ各国
公使並当所在留人民へ対致暴発候段、昨日
御門陛下之使節東久世前少将閣下へ申述


【注①】瀧善三郎神戸事件日置氏家記之写・同人遺書並辞世之歌(池田家文庫 資料番号S6-123)の五頁では、『不挟』。この方が意味が通じる。
【注②】同『趣意』。
【注③】前記文書の六頁にほぼ同じ内容のものが掲載されている。しかし、この二行の文章は『一 御知行五百石被下被召出候事』と変更され、大きく異なっている。転記の際の単純なまちがいとは思えず、書き換えられた可能性が高い。
 補足御奉公之品書上 瀧猛水[池田家文庫、資料番号D3-1597]によれば瀧善三郎は当時五人扶持、切腹前に日置家で百石に加増される。
【注④】新政府により派遣された東久世の求めに応じて提示された各国公使からの問責状。復古記第一冊巻二十一ページ六〇四に同文がある。また、大日本外交文書第一巻第一冊一〇二ページ二四六に同文と原文(英文)が掲載されている。  次の解読文へ

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怒りを挟まず、従容として死に就くこと頼みたいと思う。家督については、深く考えることもあり、格別に取り立ててつかわすので、之も懸念には及ばない。
一 五百石以上の者は、倍の知行を下される。
但し、それ以下の者には五百石を下される。
一 長男で親とは別に仕えている場合は、親を同様に扱う。
一 親も長男もいない場合は、本人が希望している者を聞いておくこと。
一 男子が二人居た場合は、長男を藩に召出し、次男に日置家において
家名を相続させる。

  [〇外国公使団からの問責状]
翻訳文
 書状をもって、啓上いたします。しからば、去る十一日に松平備前守の家来が神戸町ならびに外国人居留地を通行した際、不意に各国公使および当所在留の各国人に対し、暴発したことについて、昨日天皇陛下の使節、東久世前少将閣下へ申し述べ


【人物】
東久世前少将

【補注】
  波多野の持参した通知では、責任者とされる者の知行や家族構成が特定されていない。 
  『御官名家来』など、転記の際藩主などの名前をはばかって表記したものには、該当者が判ればその名前に置き換えた。(以下同じ扱いをしている)。 次の口語文へ

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