日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書26

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日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書の26ページめ

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*** 解読文 ***

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三月十五日[注①]
一 左之通御達
備前少将家来
日置帯刀
右先達て、謹慎被仰付置候処
格別之
思召を以、被免候条、帰国不苦候、尤
大坂、兵庫等旅行之儀は、当分可致
用捨様、被仰出候事
同廿日於御国右之趣帯刀へ被仰聞
一 右は同日太政官代へ御留守居御呼出ニ付罷出
候処、御達書之内帰国は申義有之、岩倉様へ
御内意相伺、帰国仕居申段、申上候処、其分ニて
不苦候旨、被仰聞候

閏四月十七日[注②]
日置帯刀


【注①】政府から帯刀の謹慎解除の通達。当文書四十二頁、大日本外交文書(第一巻第一冊二四〇ページ五六七から五六八)に同文。
【注②】藩主から帯刀へ遠慮不要の通達。 次の解読文へ

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*** 口語文 ***

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[〇政府から帯刀の謹慎解除の通達]
 三月十五日
 次の通りお達し
備前少将家来 日置帯刀
右は、先に謹慎を仰せ付けられていたところ、格別の思し召しを以て、許された。よって、帰国しても構わない。ただし、大坂、兵庫などの旅行は当分止めるよう仰せられた。
 同二十日、国元において右のことを帯刀へ伝えられた。
一 以上のことは同日、太政官代へ留守居をお呼び出しになったので参上し、御達し書の『帰国』ということに関しては申すことがあり、岩倉様へ御内意を伺った。
 既に帰国していることを申上げたところ、それで問題ないだろう、と仰せられた。

  [〇藩主から帯刀へ遠慮不要の通達]
 閏四月十七日
日置帯刀


【補注】
 帰国仕居申段、申上候処 : 日置帯刀は二月十八日に帰岡し、相控えていた。岡山藩奉公書 日置英彦(七~九)下-備作之史料8下-ページ六二六 次の口語文へ

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