このサイトは、もう一方の当事者であった岡山藩の資料を含め、広範囲な情報を収集し、紹介することを目的としている。
幕府権力の崩壊と開国が絡み合って、内戦へと突き進んだ。その大きな波のなかで神戸事件が起きた。そこでは武士と公家と外国人がそれぞれの思惑で動き、一人の青年の死で決着がつけられた。
何が起きたのか、を考えるために、できるだけ広い範囲の資料に目を通した。そして、収集した資料について文献リストを作成した。論理の組み立ての根拠を示すと同時に、他の方々がこの事件を調べるときの助けになることを願ってである。
リストの名称を『神戸事件の基礎資料』として、当サイト内で適宜公開する。書誌記述は、閲覧者が該当資料に出会えることを第一目的としている。様式の不統一は御容赦願いたい。
なお、できるだけ広い範囲の情報を集めるために、多くの図書館・資料館・教育委員会などにお世話になった。以下に列挙して感謝の意を表する。
【岡山県内の機関・施設】
その他、多くの機関、個人の資源を利用させていただいた。また、瀧善三郎正信の曾孫に当たられる瀧正敏氏のご教示も頂いた。
さらに、岡山県立記録資料館のボランティアの方々のご指導に感謝する。また、国立国会図書館デジタルアーカイブで多くの絶版資料を閲覧できたことはたいへんありがたかった。この事業を多くの人に知っていただきたい。
複数機関がデジタル公開をしている場合、一機関のみにリンクしている。国立国会図書館が含まれる場合は、同館を優先した。
前記により解読できたものを中心に、口語訳文を作成する。原文の流れにできるだけ沿うように訳すが、事実関係を明確にするために、時に意訳することがある。その場合、根拠となった資料を『補足』等として補記した。これに対する文責及び著作権は編者にある。
池田家文庫以外の古文書については、所蔵あるいは公開機関の基準に従い、適宜判断する。
状況の推測には一次資料を中心に考えた。評論類は論拠となった原資料を知る素材として利用し、時には原資料を読んで分らないところを判断する手がかりとして活用させていただいた。
できるかぎり幅広く検討したが、編者の能力不足、資料の未読などにより、まちがった結論を出すこともある。あくまで個人の推論であることをお断りしておく。まちがいに気づいたら早急に修正する。修正の経緯も補記する予定であるが、当サイトの第一版の完成までは、経緯を記さずに修正することもあることをお断りする。 ボランティア有志が作成している池田家文庫の解読文の著作権は、解読グループに属します。『神戸事件資料解読グループ』によると明記して下されば転載自由です。連絡不用です。
口語文の著作権は編者に属します。『サイト神戸事件を考える』によると明記して下されば転載自由です。連絡不用です。
風景・遺跡の写真のほとんどは編者が撮影したものです。上記のように出典を示していただければ自由に使って下さって結構です。こちらも連絡不用です。
商用サイトでも転載可能ですが、アダルトサイトや政治目的での利用はお断りします。また、利用に伴って発生する諸問題については当サイトでは一切関知しません。
編者以外の方が作成された写真・画像などを借用した場合は、その旨明記します。この場合は、転用などはお断りします。
【藩名について】
備前藩という呼称の方が相応しい場合もあるが、岡山藩で統一した。
【年号について】
神戸事件の発端は慶応4年1月11日である。収拾のために瀧善三郎が切腹したのが、慶応4年2月9日。明治元年9月行政官布告第726により慶応4年は明治元年とされたので、明治元年とすべきかも知れない。
しかし、それまではすべての人が慶応として暮らしていた。それで、このサイトでは、布告が発せられる以前を慶応4年とした。
ただし、引用などでは引用元の記述を用いる場合がある。
(国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている布告はここ)
【間違いについて】
正確を期していますが、まちがいや見落としもあると思います。ご連絡いただければ有り難いです。資料などをもとに検討し、間違いが確認できれば補記して修正します。
なお、雑多な日々に追われているため、回答・修正が遅れることがあります。
【連絡先】
画像になっています。お手数ですが、上記メールアドレスを打ち直してくださるようお願いします。