神戸事件を考える

装飾的に掲載した岡山城の写真

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 【お知らせ】
テスト版です。テストをしながら仕様を検討し、データのミスをチェックしています。  完成まで内容や仕様を変更することがあります。またテストの段階でファイルを移動し、あるいは削除することがあります。記述内容も適宜チェックを行っていますので、点検の結果で修正することがあります。

「日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書」の解読文の一次校正が終わりました。都合によりしばらく更新をお休みします。(平成30年10月14日)


▼完成まで(クリックしてください)

平成30年5月11日
 『4-2.神戸事件の収束』を掲載しました。新政府の西宮警備の発令から、外国公使団および交渉責任者伊達宗城が神戸を離れるまでの記録が一応できました。これを、ver.0.5とさせていただきます。

  • 古文書の解読文や口語文の作成は予定していたものがまだ残っています。これの整理をしていて新しい事実に気づく可能性があります。
  • 政治的な事件であったために、それぞれの主張が異なり、どれが真実か判らないところが、いくつか残っています。それらをもう一度確認しなおす作業が必要です。その結果により記述が変わることがあります。
  • 古文書の解読文を見直し、校正を徹底する必要があります。
  • 資料を読み直す必要があるところも何カ所かあります。
  • ホームページを作成するための特別なソフトやシステムを利用せず、エディタを使ってタグを書きながら作成しています。既存のファイルをコピーして作り直すこともしています。このためあちこちに不注意のミスがあります。これを点検しながら潰していきます。
  • 作業の過程で『神戸事件』は政治的な出来事であったことに気づきました。そのため、古文書であっても、単純に事実を書いているとは限らず、修正がほどこされている部分もありました。これらを整理する必要を感じています。
  • その他追加の検討がありますが、前記のデータの確認やミスのチェックのあとに行う予定です。

▲ここで終り。クリックしてたたむ。

過去の更新記録はここをご覧下さい

掲載目次

1.神戸事件の基礎資料

1‐1.古文書 (手で書かれたくずし字の和装本を「古文書」という分類にしています)
1‐2. 図書
1‐3.雑誌および新聞

2.衝突まで

 神戸事件は時代が変動するなかで起きた。それがどういう時代だったか、どういう経過で両陣営が神戸で遭遇することになったかを検討する。

2‐1. 神戸事件と岡山藩
2‐2. 神戸事件と外国公使団
2‐3. 慶応4年1月の神戸

3.衝突

 鳥羽伏見の戦いが起こり、260年余り続いた江戸幕府の力を殲滅する戊辰戦争という名の内戦に突き進んでいく。混乱のなかを進軍する日置隊は外国軍と衝突した。
 何が起きたかをできるだけ正確に把握するために、両者の記録を検証する。

3-1. 発砲まで
3-2. 発砲
3-3.銃撃戦と衝突の終了
3-4.補記

4.衝突後

 岡山藩は1月10日から西宮警衛に入る。当初打出陣屋に駐屯していた日置隊がこれに参加したかどうかは確認できていない。すぐに森村へ移動させられる。
 日置帯刀は、打出村で山崎喜兵衛に岡山への報告を指示すると、自身は新政府への報告のため京都に向う。新政府はその報告を待つまでもなく東久世に折衝を命じる。そして、第一回の会議が神戸運上所で行われる。東久世は外交を新政府が担うことを宣言する国書を外国側に公布。
 東久世帰京後折衝を続けていた外国掛の要請を受けて、伊達宗城が西宮に赴き岡山藩に発砲号令の責任者の提出を命ずる。
 岡山藩は新政府の命令を受諾し、その対応のため京都留守居澤井権次郎を始め、関係者を兵庫に出張させる。京都屋敷に謹慎中の日置帯刀も摂州森村へ帰参する。
 瀧善三郎の割腹までを、時系列で追っていく。

4-1.西宮警衛隊とその周囲の状況
4-2.新政府の対応
4-3.事件の収束

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日置氏の読みについてを参照ください。
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「図録古文書入門事典」の『江戸時代の不定時法』の[春分・秋分]に基づいて、現在の時間に大まかに置き換えています。春分は旧暦の二月下旬(現在の暦では3月20日か3月21日)に相当し、神戸事件前後の時期に比較的近いと思われるからです。
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 古文書の解読文に関しては、解読に参加した全員がその権利を有しています。解読担当者は、それぞれの文書の先頭に記載しています。
 池田家文庫の画像の利用は、同文庫を所蔵している岡山大学附属図書館の許諾が必要です。

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 上の写真は、岡山県立図書館東横の石垣のそばから見た岡山城。石垣は外下馬門(読みはそとげばもん)のものである。外下馬門は榎木馬場門(読みは、えのきばばもん)とも呼ばれた。神戸事件の一方の当事者日置帯刀遠征軍の総指揮官池田伊勢の屋敷は、外下馬門の西にあった。
 また、城の南東の小橋近くの国清寺(読みは、こくせいじ)前に日置家の下屋敷があり、明治以降一時「日置町」(読みは、ひきまち)と呼ばれた。
 岡山城は昭和20年6月29日の空襲で焼失し、昭和41年に復元された。



【参考資料】

  1. 図録古文書入門事典、岩尾俊平編著、柏書房、新装版2007、ページ15
  2. 絵図で歩く岡山城下町、岡山大学附属図書館編、吉備人出版、2009年刊、ページ45から46。
  3. くらべてみよう江戸時代と現在のまち(作成者、作成年不明。岡山市シティミュージアム内で販売している絵図)。
  4. 備前岡山地理家宅一枚図、同図は池田家文庫(岡山大学蔵)。このサイトで参考としたのは、複製の『岡山城下町絵図』(正富安治著、丸善株式会社岡山支店出版サービスセンター制作出版、昭和56年刊)。
  5. 吉備温故秘録/巻之十一 城府上 四十五、国清寺前。池田家文庫(岡山大学蔵)。解読文が吉備群書集成/(七)に収録されている。
  6. 岡山市の地名、岡山市地名研究会著、岡山市編発行、平成元年刊。ページ311
  7. 岡山県御津郡誌(大正12年)ページ315から316。また、金川町史ページ55によれば、別に中島屋敷があり、川沿いに倉庫が建てられていた。

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