兵庫日記の最初にもどる兵庫日記 口語訳 5まえにもどる
午後に宇和島公の御本陣に行き、待機しておかなければならないか、お尋ねしたところ、須藤但馬が面会し、もう別段の御用もないのでそちらの都合で出発して構わない、長々とご苦労であったとのご沙汰があったことを申し伝えられた。
帰路、五代才助に面会し、礼を言った。辞去して神戸に行き、伊藤に面会し、同じく礼を言った。午後八時頃宿に帰って、出発の用意をした。
十二日、朝八時前、兵庫表を立って、西宮へ午後三時頃到着し、帯刀殿及び大目付に一通り経緯を報告した。下宿で支度をし、すぐに山崎路を通って、京都に帰った。
【事物と地名】
山崎路
【補足】
(一)『午前一時』と訳したが、原文は『時既九ツ半』、「兵庫一件始末書上」では、『時既ニ三更』とある。これらを検討して午前一時とした。永福寺を出た時間であると思われる。
なお「瀧善三郎自裁之記」では、十日午前七時頃に「森村の本営に帰着す」とある。
(二)『鳥二羽』は、「神戸一件始末書上」では、『鶏一双』とある。切腹への立会いへの礼に鶏を贈るという感覚が理解できなかったので、類似の例を探したが未見。
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