[一]「足軽弐拾人」「一 右一条」:『瀧善三郎神戸一件日置氏記録ノ写 遺書並辞世ノ歌写』では、この二行のあいだに「右之通出張有之旨、狩野伝左衛門より申出ル、同人より直ニ御手元へ申上ル」という文章が入る。
[二]「小間三郎」:「慶応四年侍帳」に小間氏は見当たらず、小神三郎の名がある。また、「瀧善三郎自裁之記」は『小神三郎』が分骨を京都大光院に持参したと記す(『御津町史』頁三九五)。
[人物]
●伊勢様:西ノ宮警衛の出張総督。岡山藩家老。神戸での衝突時、天城池田家当主。 ●佐藤佐源次:天城池田家家臣。家老相組、知行百石。 ●原田権左衛門:岡山藩士、鉄砲頭、二百七十石。西ノ宮警衛隊物頭。 ●御牧安之亟:岡山藩士、鉄砲頭、二百七十石。西ノ宮警衛隊物頭。 ●宇和島公:伊予宇和島藩第八代藩主。役職名は変遷したが新政府の外交関係の責任者の一人であった。東久世通禧が京都に引き上げた後を受けて、交渉の指揮をとった。瀧善三郎の切腹に際し、その死を悼んで短歌を贈った。 ●小間三郎(小神三郎):日置家中小姓。七俵二人。
[事物と地名]
〇森村:森村は六甲山地南麓緩斜面の山麓寄りに位置した。打出陣屋などに集合した日置隊は、一月二三日夜までに森村に移転した。
〇京都大光院:日置氏の菩提寺のひとつで岡山藩家老日置氏三代日置忠俊が祀られている。瀧善三郎の切腹後、遺骨の一部が収められた。