場合ニ候間、猶又其辺深酌取、国論
一変可致、扨此度当人之儀、彼之為ニ
死ると思候ては如何ニも残念ニ被思
候得共、実ニ皇国更始御一新之
折柄右之次第ニては、如何様之大害を
可醸も難計候ニ付、無拠公法を以
御所置被仰出候間、何卒
天朝之為、
皇国之為、次ハ備前一国、日置一家
之為、右四ヶ条之御為筋を存、死を
甘度段、懇々御諭解有之候事
別紙[注①]
日置帯刀
去月十一日、神戸通行之砌、外国人へ
兵刃を加ヘ発炮ニ及候義ニ付、公法を以
御所置可相成段は、御達之通ニ候
【注①】発砲号令の者を罪科に処す、早急に差出すようにという命令書。当文書三十四頁にも同じ文があり、同月二日とある(二月二日)。
復古記第一冊
巻二十七
ページ七九一にある同文には日付の記載はないが、二月二日の項目である。
また、復古記の次のページ(七九二)および外交文書第一巻
第一冊
一二九
ページ三〇五に日置帯刀名の請書がある。どちらも、お達しの文書をまるまる転記し、最後に『御沙汰之趣謹て奉畏候、右御請奉申上候』とある。請書の日付は復古記では、二月七日、大日本外交文書では二月二日である。この時期、京都藩邸を中心に対応を続けていたと思われるので、迅速な対応は予想できるが、二月二日では早すぎる。池田靭負名で二月三日奉答書が出され、七日付で帯刀名の請書が提出されたとする復古記の記述の方が妥当であると思われる。
場合である。なおまた状況を深く酌み取り、国論を一変致すべきである。
なお、今回、当人は異人のために死ぬと思うのは如何にも残念に思うであろうが、実に皇国の更始御一新の時に、このままではどのうような大きな害を引き起こすか計りがたいので、拠ん所なく公法によって処断することを仰せ出された。それを踏まえてなにとぞ朝廷のため、皇国のため、次は備前一国のため、日置家のため、これら四つのご恩の筋のことを思い、死を甘んじて欲しいと、丁寧に諭して頂きたい。
[〇岡山藩内の通達・別紙(発砲号令の者を罪科に処すので早急に差出すようにという命令書)]
別紙
日置帯刀
先月十一日、神戸通行の際、外国人へ兵刃を加え、発砲するに至った件について、公法を以て御処置されるということは、お達しの通りである。