3月に大里から小倉、「長崎街道歴史発見ウォーク 2014」に参加して、小倉から木屋瀬まで歩いた。4月になって木屋瀬から一人で歩き始め、飯塚、内野、山家、原田の筑前六宿を歩いて、佐賀県鳥栖に到着した。
歩き始めの北九州市内は市街地が多く、八幡製鉄跡のスペースワールドの横を通り、炭鉱で栄えた直方や飯塚を通った。
次第に山深くなり、内野を通り、緑の竹林を上り冷水峠(上写真)を越えた。難所といわれた冷水峠は天候に恵まれてすばらしかったが、そのあとトラックが疾駆する国道端を歩く時は恐怖の連続だった(脇道があるようだが、長崎から来る人にしかわかりにくい標識の付け方だったのでほとんど見つけることができなかった)。
山家からまた少しずつ市街地になる。佐賀との国境を越えて、鳥栖へ到った。五月の陽光を浴び、緑がきれいだった。
合計距離 93.8キロ(資料上の距離) 日数5日
資料上の距離を中心にしていますが、推測も含まれています。参考程度と考えてください。
なお、下記の宿間里程は、「長崎道中記」(波多野新作著、座間市立図書館市史編さん係)を参考に算出。
大里-小倉間は「日本街道総覧」(宇野 脩平編、新人物往来社)による。
小倉常盤橋から木屋瀬:集合場所の勝山公園から小倉城を横目に見て、常盤橋に進み、かっての城下町を歩く。
三条国境石からは筑前国黒田藩に入った。筑前六宿のうち街道並木が残る黒崎を通り、木屋瀬でウォークは終了した。
出発常盤橋 8時45分 到着木屋瀬 14時36分 歩行距離 24.9キロ
・第2回歴史街道ウオーキングの資料では距離27キロとなっているが、 集合場所である勝山公園から常盤橋までの距離が含まれていると思われる。
出発木屋瀬 7時20分 到着天道神社 17時45分 資料上の距離 23.8キロ
・万歩計での距離=57,850歩、40キロ。木屋瀬駅から、追分石まで、天道神社からホテルまでの歩数を含。
勝野駅周辺で田の中を行く旧街道の位置がわからず、右往左往した。結局かなり離れたところに石柱を見つけ、その道を逆にたどった。
また、南良津がわからず、周辺一帯を探し回った。その上飯塚で道をまちがえた。このため歩行距離は大幅に長くなった。
木屋瀬を出てから、遠賀川沿いを感田まで行く道は歩道がなく横を過ぎていく車に生命の危険も感じた。木屋瀬宿を売り出すのならば前後の道を歩けるようにすればより価値は上がると思う。
出発天道神社 8時00分 到着山尾宿 17時頃(記録忘れ.ホテル着時間から逆算 資料上の距離 21.1キロ
・万歩計での距離=47,309歩、33キロ。山家宿から郡境石などを見て、終点は筑紫野市岡田のセブンイレブン。
適当な公共交通機関がなかったので、到達地点近くのホテルに宿泊。
山家宿では江戸時代途中で変更された二つの道を両方歩いたり、また山家道周辺で迷って歩きなおしたため歩数が多い。
出発山家宿7時36分 到着田代宿14時10分 資料上の距離16.0キロ
・29884歩。21キロ。始点は前日終点のセブンイレブン。
終点は、鳥栖市交差点。キロ数差は、ホテルからセブンイレブンまでと、田代宿から鳥栖駅までを含んでいる。
中国路は3人旅だったし、同行の人達は地図を読むのに長けていた。長崎街道は基本的に一人旅なので、各種の資料をもとに下準備をした。佐賀路、長崎路と共通のものも多い。
河島悦子 著 ゼンリン地図製作・販売 1999年(2刷)
歩くのにはもっとも適した資料である。ただ、平成26年5月現在、新刊は刊行されていない。古書価格はかなり高い。復刊が望まれる。
また、情報がやや古いので、インターネットの地図情報で補填した。この資料は長崎街道全体について記述されている。