由加山北参道

由加山北参道2


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JR木見駅から由加山

歩行日:平成28年5月15日(日)
概況: 距離4.5キロ。yahoo地図上で道がない(航空写真でも同じ)区間は推測で計測した。
 yahoo地図上ではまったく道がないところが二ヶ所、国土地理院の地図では1ヶ所(残りの1ヶ所は点線で記述)ある。
 両方の地図に道が示されていない一ヶ所は実際に道がなかった。もう一ヶ所、国土地理院の地図で点線で示されている道は、入口さえ分かれば(廃道ではあるが)十分歩ける。ただし、どちらも単独では行かない方が良いと思う。 歩行者:高田、池内、川上、衛藤(文責、サイト管理人)

経 路 図


由加山北参道全体を見る。

起点・JR木見駅

木見駅 岡山駅発9時7分発の瀬戸大橋線で出発。木見駅着9時35分。木見駅は無人駅、マリンライナーは止まらない。トイレに行き、荷物を整理して出発。

 瀬戸大橋線の高架をくぐると、すぐ右手に大きな常夜燈が目に入る。その足元に舟形の丁石、三十八丁がある(左写真をクリックすると丁石画像が拡大、以下同様に拡大する写真を「※左」と表記)。
 少し行くと右側に、木見大賀公民館があり、その空き地に文化十一年(1814)の常夜燈、室町時代のものと思われる首切り地蔵尊(首は切れているが、胴部分の上に置いてある)、天明二年(1728)の宝篋印塔などがある。
三十八丁

 地元の人が、常夜燈のところの松が『一葉』で珍しいものだと教えてくれた。見たけどどこがどう違うかよく分からなかった。
 山に向って進む。この辺は特に道に迷うことはない。分岐を気にせずにまっすぐ歩けば良い。しばらく行くと、左手の分岐のところに住心院(児島八十八ヶ所霊場第51番札所)への案内看板がある。まっすぐ進む。
 しばらく進むと、山にぶつかって右に曲がる。ぶつかったところに住心院への道標と石碑がある。石碑の意味はよく分からなかった。
住心院への案内 遍路道標・住心院

道は曲がりながら進む。石の鳥居が姿を現す。森池の端である。鳥居は慶応二年(1866)の建立という(調査報告6p24)。鳥居の周りに慶応元年建立の狛犬、北往来では珍しい石柱の三十六丁石がある。(※右)。
森池の鳥居 36丁

 右側に森池が広がる。ここからしばらく湖岸を進む。途中で右に分岐する道があるが、山沿いをまっすぐ行くと、山側に順に丁石が並んでいる。
 最初は、三十五丁(※右)。
森池 35丁

 その先、少し高いところに「十五夜丹蔵」碑がある。地元出身で大阪角力で幕下まで進んで帰郷したらしい。ネットで調べるといくつか情報が出てきたが、詳細は略す。
 少し先の山際に三十四丁(※右)。
十五夜丹蔵碑 34丁
 その先の竹林に三十三丁。途中から折れて、上部は下部に載せている。それでなんとなくずんぐりとして見える。造花だけど花が供えられている。
 次は建物の手前の三十二丁。(※両方)。
33丁 32丁

 森池から離れる前に、三十一丁(※下)。

31丁ここから九丁までは丁石を見つけることはできなかった。資料にも載っていない。

 その先、大きな宝篋印塔がある。その右側に地蔵尊、左側に「南無阿弥陀仏百万遍」と刻まれた石板が並ぶ。宝篋印塔は享保十六年(1731)、地蔵尊は寛政三年(1791)という(調査報告6p25)。同書に正徳六年(1716)の建立の石塔と書かれているのが「南無阿弥陀仏・・・」の石板だろうか。
木見の宝篋印塔

 そのまま進む。少し行くと左側に山に向う細い道があり、祠が目に入る。寄り道して中を見れば、地蔵尊が祀られている。
 参道は元の道を進み、右に曲がる。曲がり角に神社があったので行ってみると鳥居に「疫神社」の額があった。
 帰宅後調べてみると、昭和18年の神社整備の際に旧号「疫神社」を「素盞嗚神社」と改めた、とある。本殿には素盞嗚神社という額があった。素盞嗚神社 神社紹介 岡山神社庁。サイト確認:平成28年6月1日。
尾原の地蔵尊 疫神社

 素盞嗚神社(疫神社)の近くで「三余塾 硯池小跡地」と書かれた標柱があった。三余塾が硯池小学校になり、郷内小学校尾原分校となった。(下記参照)。そんな例をいくつも見た。
三余塾

 道は山を周り込むように進む。左側石垣の上に常夜燈と小さな五輪塔が並ぶ。調査報告6p25では五輪塔群と表現しているが、少し大げさである。かってはもっとたくさんあったのだろうか。経緯は不明。
五輪塔群

左側に尾原公民館がある。右側の道の下に郷内小学校尾原分校がある。平成28年6月1日現在休校中のようだ(倉敷市立郷内小学校 沿革 サイト確認:平成28年6月1日)。

 そこから先で道は二つに分かれ、分岐点に道標がある。道標には[右 田の口由加][左 迫川由加]と刻まれている。どちらを進んでも由加に行くが、江戸時代の由加参道は右である(調査報告6p25)。
尾原の分岐尾原の道標

 さらに進む。現れてくる正面の階段は天津神社への参道だと思われる。道は右に周り込んで上る。

 中国自然歩道の道案内は左に「由加山」とするが、旧参道そのまま県道62号線に向っていく。ただし、県道62号線に合流する30メートルほど手前で左に分岐する細い道が旧道であるようだ。

 左写真は分岐点。右写真は分岐天から左に入る道を見たころ。調査報告6p25右上の写真「途中で草の中に消える旧道」と同じ道だと思う。ただ左の家が新しくなっているのと季節のせいか右の建物が緑の蔦や木々に覆われている。
県道前の分岐1 県道前の分岐2

 その先、道としては行き止まりだが、県道の路肩へ登る短くて細い踏み分け道がある。登ると県道を越えて、正面の藪の中へ進む
 最初だけ藪は分かれているが、ほとんど道はない。藪と雑木のなかを登っていく。
廃道1-1 廃道1-2
 藪をかき分けて進む。工事現場などにある仮設トイレがすててある。さらに進むと猪よけの金柵がある。道は少し歩きやすくなる。
廃道1-3 廃道1-4
 最後はよじ登る感じで、県道に出た(左写真。ここに這い上がって来た)。予定したより少し上に出たので、最後のところでずれたのかも知れないと思って、別の道の痕跡らしいものを逆に行ってみたが、大差はなかった。その道はハゼがたくさん生えていたので、行かなくて良かったと思った。
 その後しばらく県道を進む。
廃道1-5 県道

 しばらく行くと、左側に山に入るコンクリート道のようなものがある(左写真)。ここを登るのが今はほとんど廃道になった旧参道(里程標もあったので、かっては主要な道路でもあったようだ)へ進む道である。
 コンクリートの道が切れたところで右の藪の中に入る。左に少し開けた道へ行くと里程標や鳥居のある道には出ない。
廃道2入口 廃道2-1

藪はすぐに切れて、荒れた山道になる。倒木や草、細い竹が生えているが一応歩ける。
約100メートルほど歩くと、左側に「岡山元標六里」と書いた里程標がある。(調査報告6p25によると明治十八年建立のようだが確認を忘れた。
廃道2-2 里程標距六里

さらに7~8分行くと、「寛政四壬子九月吉祥日」の銘がある鳥居がある(寛政四年=1792)。
 さらに進むと、如意輪観音と並んで九丁の丁石がある。なお、九丁と八丁は明和四亥九月に、「當郡木見村正武多中」により寄進されたものである(調査報告p26)(※右)。
由加廃道の鳥居 9丁

 進むと少年自然の家が設置した「通行止め」の看板がある。これは由加山方面から来る者に対して指示しており、またこの先にオリエンテーリングの看板などがあったので、オリエンテーリング参加者に対する通行止めであろうと判断した。

 その看板から歩きやすい道になる。墓地があり八丁の丁石がある(※左)。
 その先すぐに下から来た道とぶつかる。左折して山を登る。下に行けば県道。
31丁 山道

 少し進むと松の井の井戸がある。参詣の池田藩主がこの井戸の水を飲んだという。気に入った藩主の指示で藩士が汲みに来たと説明板にある。家来も大変だなあ、と思う。由加滞在中のお茶に使ったという資料も見た。
 その横に六丁の丁石(※右)。六丁から一丁までは、明和四年九月に「當郡木見村大賀中」による寄進である(調査報告p26)。JR木見駅近くに木見大賀公民館があり、線路を挟んで大賀西公民館や大賀東集会所があるので、その辺の地域の人々の寄進と思える。八丁と九丁の「木見村正武多中」も木見村の地域のどこかだと思うが、分からなかった。
松の井 6丁

 赤い鳥居があり、その足元に遍路道標のようなものがある。「右 齋疫大明神」と読んだが該当する神社はない。
鳥居の下の道標 赤い鳥居

 鳥居から2~3分歩けば、五丁(※左)がある。
さらに、磨崖道標「お可山道」がある。調査報告6p26の通りに磨崖道標と書いたが、少し大げさだと思う。少し大きめの岩に文字を刻んだだけだ。
5丁 磨崖道標

 その先すぐに四丁(※左)
 その先、やや広い林道に一度合流。少し進んで、左に入る。
4丁 由加の林道

 ここは下り。幅広の階段のような道。
 左側に三丁(※右)。右側に池がある。もう由加の境内?
由加へ 3丁

 すぐ二丁(※左)
 献灯が並ぶ。実はその蓮台寺よりのところに一丁がある。
2丁 献灯が並ぶ

 ついに一丁(※左)。その先に蓮台寺への階段。昆布茶をごちそうになった。
1丁 蓮台寺

 それから由加神社へ参詣。備前焼きの鳥居。
由加神社参道 備前焼きの鳥居

 このあと南参道を下りて、バスでJR児島駅まで行き、帰岡。南参道は角柱の丁石が次々と現れる。田之口にもいろいろ興味深いものがあった。いずれ南参道からもう一度参拝する予定。それまでには由加権現についてもう少し勉強するつもりです。


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由加山北参道の丁石
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