日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書15

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日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書の15ページめ

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*** 解読文 ***

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左之通[注①]
日置帯刀馬廻り士
知高百石瀧 善三郎
歳三十二
右之者、去ル七日兵庫表へ指出、外国
御用掛りへ相達、警固仕置候処
同九日晩、同所於永福寺各国見証を
請、外国掛薩州長州宇和島家来等
立会之上、割腹仕候、死骸は帯刀
手前ニて取片付仕候、右之段御届
奉申上候、以上
備前御官名留守居
二月十三日澤井宇兵衛

二月十六日惣触[注②]
一 先達て御触達有之候、日置帯刀神戸
通行之節、外国人と引縺之儀
朝廷へ御引取御裁許被仰出候、依之


【注①】発砲号令の者として、瀧善三郎が切腹したことを刑法局に報告したことを記す書類の報告文。本文書頁三十八に同じ文があるが、帯刀は『家来』となっている。大日本外交文書第一巻第一冊一四六に同趣旨の文章がある。 大日本外交文書第一巻第一冊一四六ページ三四六に「岡山藩士澤井宇兵衛ヨリノ届書」があり、瀧の口述が付記されている。 
【注②】藩主が謹慎伺いを出しているので『諸事物静』にすべきことを藩士に通知、同時に御機嫌伺いについて指示。岡山藩士日置帯刀従者於神戸 外国人に対し発砲始末(吉備群書集成ページ一二六)に同じ文あり。 次の解読文へ

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*** 口語文 ***

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次の通りの結果となりました。
日置帯刀馬廻り士
知高百石瀧 善三郎
歳三十二
 右の者を、去る(二月)七日兵庫へ送致し、外国御用掛(外国掛)へ伝え、警護しておりました。その後、同九日夜、同所永福寺に於いて、各国の検証を受け、外国掛、薩摩藩、長州藩、宇和島公家来等の立会いの上、割腹いたいしました。死骸は帯刀手前にて片付けました。右のことをお届け申上げ奉ります。以上
備前御藩名留守居
二月十三日澤井宇兵衛

  [〇岡山藩内の惣触]

二月十六日に惣触
一 先般、お触れがあったように日置帯刀の一隊が神戸を通行した際、外国人と行き違いに争いになった件は、朝廷へお引き取りになり、御裁許を仰せ付けられるこになった。これにより


【補注】
 帯刀手前にて : 帯刀の配下とも考えたが確定できなかったので、そのままとした。 次の口語文へ

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