日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書38

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日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書の38ページめ

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*** 解読文 ***

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右山陽道諸藩へ可相触旨被
仰出候事

一 同十三日左之通太政官代へ差出[注①]
備前守家老日置帯刀義、神戸町通行
之節、同勢之内外国人へ兵刃ヲ加へ
及発砲候ニ付、公法ヲ以御処置ニ相成、右
砲発号令之者差出候様、被
仰付候ニ付、則左之通
日置帯刀馬廻り士
知高百石瀧 善三郎
歳三十二
右之者、去ル七日兵庫表へ差出、外国御用
掛へ相達、警固仕置候処、同九日晩、同所
於永福寺各国見証ヲ受、外国掛、薩
州、長州、宇和島家来等立会之上、割腹
仕候、死骸ハ帯刀手前ニて取片付仕候


【注①】瀧善三郎が割腹し、政府から求められた責任者の処断が終了したことの報告。当文書十四頁から同文あり。十四頁注②参照。
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*** 口語文 ***

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右の通り、山陽道の諸藩に通知するよう仰せ出された。

一 同十三日次の通り、太政官代へ差出[〇切腹後の報告]
    備前守家臣日置帯刀が神戸町を通行した際、一隊のうちから外国人に兵刃を加えて、発砲に及んだので、公法によって処断されることになり、前記発砲を号令した者を差出すように仰せ付けられました。それにより次の通りの結果となりました。
日置帯刀馬廻り士
知高百石瀧 善三郎
歳三十二
 右の者を、去る(二月)七日兵庫へ送致し、外国御用掛(外国掛)へ伝え、警護しておりました。
 その後、同九日夜、同所永福寺に於いて、各国の検証を受け、外国掛、薩摩藩、長州藩、宇和島公家来等の立会いの上、割腹いたいしました。死骸は帯刀手前にて片付けました。


【補注】
 帯刀手前にて : 帯刀の配下とも考えたが確定できなかったので、そのままとした。 次の口語文へ

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