日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書39

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日置帯刀摂州神戸通行之節外国人江発砲之始末書の39ページめ

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右之段御届奉申上候、以上
二月十三日備前少将内
澤井宇兵衛

右割腹之節、瀧善三郎口演[注①]
割腹之席ニ臨ミ左之通
去ル十一日神戸通行之節、夷人より無法
之及所業候処より、無拠加兵刃、即乗其挙
発砲号令之者拙者也、然ル処今般
王政御復古更始御一新之折柄、宇内之
公法ヲ以て
御処置被遊割腹被
仰付候付、則割腹致し候、御検証可
被下候

一 同十九日左之通差出[注②]
先般私家来日置帯刀義、神戸町通
行之節外国人へ対し、発砲等仕候次第
不届被


【注①】割腹に臨んで瀧が発した言葉。大日本外交文書、復古記にも同じ文が記載されているが、澤井宇兵衛(権次郎)自身が藩に報告した記録、兵庫一件始末書上(池田家文庫S6-128(1))の記述にある謝罪の部分がない。
【注②】岡山藩主の謹慎伺。 次の解読文へ

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*** 口語文 ***

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右のことをお届け申上げ奉ります。以上
二月十三日備前少将内
澤井宇兵衛

[〇瀧善三郎が切腹に際して発した言葉]
先に述べた割腹の際、瀧善三郎が発した言葉
割腹の席に臨み次の通り
去る十一日、神戸通行の節、外国人が無法の行為に及んだので、やむを得ず、武器を持って攻撃し、その時、そのままの勢いで発砲を号令した者は私である。その結果、このたび、王政復古により政治向きが一新され、宇内の公法をもって裁かれることになり、割腹を仰せ付けられた。すなわち、ここに割腹する。とくとご検証いただきたい。

[〇岡山藩主の謹慎伺]
一 同十九日、次の通り差出
 先般、私の家来、日置帯刀が、神戸町通行の際、外国人へ発砲等したことを不届きに


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