白枠の中は石垣のひとつに掘られた仏さま。
しみじみとした雰囲気があった。
場所は『赤磐八十八ヵ所霊場めぐり』及びウェブサイト「赤磐88ヵ所霊場めぐり」と異なり、松尾神社の鳥居横にある。
(三十五番からだと)県道二七号線を南に下り、直木自動車の看板が左手に見える。看板のところの道を左折。その先、最初の分岐(角に公会堂のような建物がある)をさらに左折。建物の横に南無阿弥陀仏の石碑がある。火の見やぐらを目指して進む。正面、松尾神社の鳥居の横にある。
旧来のお堂がどのような状況か行ってみたが、草や竹が伸びており、断念した。また、近くに薬師如来を祀った「お薬師さん」があった。地元の人にお尋ねすると、このお薬師さんに対する「講」もあったようである。
さらに、県道二十七号線を越えた東側に「原観音堂」があった。こちらも、「講」があるということであった。
歴史資料の多くは寺院を中心とした情報が多いが、我々庶民(そしてかって多くを占めた農民)の生活に「講」の存在があると感じた。
お堂の正面に「大師堂」の看板がある。扉を開けると、「赤磐八十八□霊場 第三十七番札所 千手観世音菩薩」と描いた木札がある。
□は判読できず。