赤磐八十八カ所霊場巡り八


【三十五番】

大日如来
 御詠歌
 罪とがはたかくつもりてふちがうら
よしや有りとも消ゆるうれしさ
 (参拝 令和元年十月十四日)

 白枠の中は石垣のひとつに掘られた仏さま。
 しみじみとした雰囲気があった。

35番札所


【三十六番】

本尊 準胝観音菩薩
 御詠歌(観音堂再建として扇額に記されていたもの)
諸人の力合わせて御堂成る
菩薩の恵み いやまさるらん
 
 (参拝 令和元年十月十四日)

 場所は『赤磐八十八ヵ所霊場めぐり』及びウェブサイト「赤磐88ヵ所霊場めぐり」と異なり、松尾神社の鳥居横にある。

36番札所


 (三十五番からだと)県道二七号線を南に下り、直木自動車の看板が左手に見える。看板のところの道を左折。その先、最初の分岐(角に公会堂のような建物がある)をさらに左折。建物の横に南無阿弥陀仏の石碑がある。火の見やぐらを目指して進む。正面、松尾神社の鳥居の横にある。


 堂内の遷座由来および地元の方に尋ねた結果によると、平成二十六年十一月に旧来のお堂(前記二つの資料に記述されているもの)から松尾神社(赤磐市坂部557)鳥居の横の現在のお堂へ遷座されたと思われる。
 なお、お堂横の石碑に「昭和五十八年五月建立」とあるので、このお堂はもともとあったもので、そこに準胝観音菩薩が遷座されたと推測した。
 準胝観音菩薩としての御詠歌は「今は唯誠一つに祈るかな 坂のほとりの堂に参りて」である(前記二つの資料による)。

 遷座由来には「第三十六番札所(字才の鼻九三五番地、堂ノソバ石碑ニ「寛延三庚午年八月十五日」ト刻ム)大師堂ノ朽敗ニ心ヲ痛メ 鎮座マシマス尊像三体ヲ 観音堂(字棚田五五五番地)ニ遷座スルコトヲ発願(以下略)」とある。

 旧来のお堂がどのような状況か行ってみたが、草や竹が伸びており、断念した。また、近くに薬師如来を祀った「お薬師さん」があった。地元の人にお尋ねすると、このお薬師さんに対する「講」もあったようである。
 さらに、県道二十七号線を越えた東側に「原観音堂」があった。こちらも、「講」があるということであった。
 歴史資料の多くは寺院を中心とした情報が多いが、我々庶民(そしてかって多くを占めた農民)の生活に「講」の存在があると感じた。


【三十七番】

本尊 千手観音菩薩
 御詠歌
 めぐりきて小原の水をむすべかし
是ぞ仏のかじときくなる
 (参拝 令和元年十月十四日)

 お堂の正面に「大師堂」の看板がある。扉を開けると、「赤磐八十八□霊場 第三十七番札所 千手観世音菩薩」と描いた木札がある。
 □は判読できず。

37番札所


【三十八番】

 本尊 文殊菩薩
 御詠歌
 なむ文殊慈悲の心にかみとしも
分たずもまれ智慧のみ仏
 
 (参拝 令和元年十月十四日)

38番札所


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