赤磐八十八カ所霊場巡り十


【四十四番】

本尊 薬師如来
 御詠歌
 へだて無き慈悲の心のなかやなる
仏にすがれ願もみたなん
 
 (参拝 令和元年十一月一〇日)

 壁、柱に痛みが激しい。

4番札所


【四十五番】

本尊 薬師如来
 御詠歌
軽部なる佐古田の薬師あふげかし
るりの光に罪も消えなん
 
(参拝 令和元年十一月一〇日)

45番札所


【四十六番】

本尊 薬師如来
 御詠歌
 はるばるとめぐる南の佐古田にも
薬師ぞいます十二しんしょう
(参拝 令和元年十一月一〇日)

 四十五番から四十六番までの路傍に「熊出没注意」の看板があった。大声で話しながら歩いたり、笛を吹いたりしながら歩いた。
看板-熊出没注意

46番札所


【四十七番】

 本尊 千手観世音菩薩
 御詠歌
 平満の石のはちすのさくと聞く
誓ひも高き十三の塔
 
(参拝 令和元年十一月一〇日)

 手前にあった修験道の龍光院でお茶を御馳走になった。初めてのお接待である。
 石蓮寺みんなの森の管理棟で席をお借りし、弁当を食べた。ここでもお茶を頂いた。

47番札所


 石蓮寺は寛文の寺院淘汰で廃寺になった由。十九坊あった大きなお寺だったようだ。
 池田光政の政策により、備前一帯で一説に寺院五九八寺、岩梨郡と赤坂郡では寺院計九一寺が廃された(この時、多数の神社も廃されたがそれについては触れない。参考資料:「岡山藩の寺社整理政策について」圭室文雄、『明治大学人文科学研究所紀要(四〇)』頁三六三―三八二)。それに際し、僧侶は還俗させられ、葬儀などは神道請けに変更された。僧侶はもちろん庶民は混乱したことだろう。岡山の人でもこのことを知る人はそれほど多くない。

お堂の後壁はガラス扉。裏にある大きな岩に梵字と南無大師の文字が刻まれている。
47番-裏の岩

47番-岩に梵字と南無大師


【四十七番相番】

 本尊 地蔵菩薩
 御詠歌
 誰も皆幾千代かけてむすぶらん
酌めどもつきぬのりのはな水
 
(参拝 令和元年十一月一〇日)

 昭和に改修されたようだが年号はよく読めなかった(三十五年?にしては建物が新しすぎるように思える)。

47番札所相番


赤磐八十八カ所霊場巡りトップへ戻る戻るマーク
赤磐八十八カ所霊場巡り十一へ三角マーク