壁、柱に痛みが激しい。
四十五番から四十六番までの路傍に「熊出没注意」の看板があった。大声で話しながら歩いたり、笛を吹いたりしながら歩いた。
手前にあった修験道の龍光院でお茶を御馳走になった。初めてのお接待である。
石蓮寺みんなの森の管理棟で席をお借りし、弁当を食べた。ここでもお茶を頂いた。
石蓮寺は寛文の寺院淘汰で廃寺になった由。十九坊あった大きなお寺だったようだ。
池田光政の政策により、備前一帯で一説に寺院五九八寺、岩梨郡と赤坂郡では寺院計九一寺が廃された(この時、多数の神社も廃されたがそれについては触れない。参考資料:「岡山藩の寺社整理政策について」圭室文雄、『明治大学人文科学研究所紀要(四〇)』頁三六三―三八二)。それに際し、僧侶は還俗させられ、葬儀などは神道請けに変更された。僧侶はもちろん庶民は混乱したことだろう。岡山の人でもこのことを知る人はそれほど多くない。
お堂の後壁はガラス扉。裏にある大きな岩に梵字と南無大師の文字が刻まれている。
昭和に改修されたようだが年号はよく読めなかった(三十五年?にしては建物が新しすぎるように思える)。