赤磐八十八カ所霊場巡り十五


【七十三番】

本尊 地蔵菩薩
 御詠歌
六道の能化の地蔵大菩薩
みちびき給へ此の世後の世
 
 (参拝 令和二年一月十一日)
 
 郷土資料館のホームページの写真の建物の後ろに地蔵尊が祀られた祠があった。恐らくこちらが本尊であろう。
73番札所

 扇面額と大師様は手前の建物にあった。
他にも、昭和五十五年の寄進額などがあり、この時改修されたと推測した。
 文字面が北に向かった大きな石碑がある。絶壁の上なので前に回り込めなくて読めなかったが、後で「赤磐88箇所霊場巡り」(第2版、制作ムービー赤磐)を見ると、「南無阿弥陀佛」と書かれているようだ。

73番札所の大師像

73番札所の扇面額


【七十四番】

本尊 薬師如来
 御詠歌
 うかりける浮世の塵は積るとも
牟佐の河波今は濁らじ
 
 (参拝 令和二年一月十一日)
 
 地元の方に教えていただいた。痛みが激しく、悲しい気持ちになる。なお、本尊などは移動されたようだ。
74番札所

【七十五番 玄龍院】

 本尊 千手観音菩薩
 御詠歌
 みなかみはいづくなるらん高倉の
寺に詣りて誓ひあふがん
 
 (参拝 令和二年一月十一日)
75番札所

 『赤坂郡誌』に「高倉山宿雲寺玄龍院」があり、「本山比叡山、中本寺銘金山金山寺(ママ)」とある。(頁八三三)
 『備陽記』巻五に「天台宗高倉山宿雲寺地福院」がある。また『吉備温故秘録』巻二十七に「同 高倉山宿雲寺其龍院 牟佐村。観音。同断。[天文年中の中興]とあり 玄龍院古名地福院とある。
 恐らく、地福院→玄龍院という意味だと思われるが、其龍院の位置づけがわからない。『吉備温故秘録』は『吉備群書集成』の解読版を見ているので、池田家文庫版で再確認して、追記する。


【七十六番―1】

 本尊 弥勒菩薩
 御詠歌
 磨けただ心の鏡清ければ
真如のつきの宿らざらまし
 (参拝 令和二年一月十一日)

 近所の方にお話を伺うと、裏の方に高月小学校があった由。また、この祠は奉安殿だったと思われる。今は空き地になっている祠の前に建物があり、旅の人(巡礼?)を泊めたということだ。六十~七十年まえか。なお、こちらでない方の七十六番が「穴口行場」だと思われる。

76番札所


【七十六番-2】

 裏山をかなり探したが、わからなかった。その後、高月公民館で「両宮だより」18などを閲覧し、甲山から下りてくる途中にあるのではないか、と推測。もう少し情報を集めて、再度探すことにする。(令和二年一月十一日)
 兜山登山道の途中に横道があり、「両宮だより」の写真のような笹が生い茂って岩がたくさんあるところがあった。その周辺を探したが、「血染めの竹」らしいものは見当たらず、洞窟も分からなかった(令和二年二月八日)

 りょうぐうだより、第十八号(平成十六年一月一日、発行・両宮地域ぐるみ活動協議会)より引用
(前略)そのミニチュアが馬屋区内にもあり、そのルートの概要は公会堂の奥にある大師堂より始まり―圓壽院―奥池の方へと山に入り―かぶと 岩―大甲―西の谷の方へ下り―大甲の中腹を斜めに下り―旧高月小の西の大師堂までの八十八ヶ所である。(中略)大甲中腹を下る途中に洞窟があり、その周辺に竹林がある。
 その竹は、変わった特徴があり、節間が赤茶色によごれ、一見血が付いたように見える。そのいわれが、言い伝えによると大師が手に傷を負い、休憩時に血のついた竹杖を大地に突き立てられた。これが根付いた竹ということで「血染めの竹」といわれている。(馬屋区 本郷雅邦氏著)

 この文章では、赤磐八十八箇所霊場とは別に馬屋地区にミニチュアの霊場巡りがあったようで興味深いが詳細は分からない。


【七十七番の検討】

 地元の人に聞いた話および頂上の看板を見る範囲では「小兜」(二つの峯の東側)の頂上の大岩が兜(甲)岩とされているようだ。
 〇左写真は、大岩の下部から、赤磐市方面を見たもの。
兜岩
 〇左写真は、小兜の頂上にある看板。
小兜の頂上の看板


 亀岩についてはとりあえず資料が見つからず、知っている人にも出会えなかった。
 兜山に登ってみると(令和二年二月八日)小兜の大岩の上に亀に見える岩があった。
亀に似た岩

  資料には奥の院兜山行場から「つぎ亀岩へ一丁(約一〇九メートル)」とある。右写真の石が亀岩だったら、この岩(小兜頂上)から一丁のところに、兜山行場があることになる。
 二月八日は疲労も大きく(日頃の不摂生)、前記の整理ができていなかったので、二月二十四日、再度兜山に登り、大兜(二つの峯の西側)を調べた。


大兜の看板
 先述の小兜の頂上の岩の上の亀に似た岩を「亀石」だとすると、そこから一丁のところで目につくものは大兜の頂上しかない。
 頂上には岩はないが、少し下がったところに岩がある(写真は撮れなかった)。
 以上のことから、小兜の頂上の亀に似た岩のところが「亀岩行場」、大兜の頂上付近が「兜山行場」だと判断した。ただし、資料的裏付けはない。


【七十七番―兜岩行場】

 本尊 蔵王権現
 御詠歌
萬代も、かわらぬしるし亀岩に
います佛のみ手にすがれよ
 
 (参拝 令和二年二月八日)
亀に似た岩

【七十七番―奥の院兜山行場】

本尊 金比羅大権現
御詠歌
のりの船知るも知らぬも渡すべし
仏の誓あらんかぎりは
 
 (参拝 令和二年二月二十四日)

 大兜からの眺望は絶景。南に向けば、金毘羅さんの方角か?

大兜からの眺望

【七十七番―金光山円寿院国分寺】

 本尊 薬師如来
 御詠歌
 南無薬師諸病しつじょの願なれば
詣る我が身を助けましませ
 (参拝 令和二年一月十一日)

 円寿院の本堂と思われる建物に「薬師如来」の幟があった。こちらが七十七番―3だと推定。『備陽記』五、『赤磐郡誌』のどちらも「金光山善教寺圓壽寺」とある。国分寺の瓦があったそうだが、それと国分寺という寺名と関連があるか。地元の人に「国分寺」と尋ねても分からなかった。境内にあった厄除大師について記した石碑には国分寺とあった。

73番の3札所


【七十八番 金光山円寿院国分寺】

 本尊 馬頭観世音菩薩
 御詠歌
 おもへただ誓ひも深きげにまやの
仏ぞいますばとうくわんおん
 
 (参拝 令和二年一月十一日)
 
 お堂の濡れ縁に置かれていた扇面額には「天明三癸卯 施主赤磐郡 西中村 森道矩」という字が薄く残っていた。江戸時代のものだとすると、姓が書かれているのが少し不思議だ。

 

78番札所


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