岡山の往来・道の検討・津山往来

道の検討

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津山往来と倉敷往来の分岐する道の検討

順路1

調査報告6 金比羅往来と由加往来・倉敷往来・鴨方往来

[p.42] さらに北に進んで、東側に倉敷紡績岡山工場を西側に神宮寺山古墳を眺めながら真っ直ぐ行くと、御野幼稚園前の三叉路に突き当たる。

作州に向う二つの往来のうち、津山往来はここから北に進み幼稚園西側の道を旧北方村に入り、もう一つの倉敷往来は東へ折れて進む。ただ、二つの往来の分岐点は現在の三叉路から三〇メートルほど手前にあったようで(大正五年版地形図による)、現在でいうと、ゴルフ倶楽部と北側民家の間を斜めに入る道(奥側は現在民家で行き止まり)が倉敷往来の道筋であったと考えられる。(引用ここまで)

[末尾の地図] 倉敷往来との分岐までは直進。その後は記述なし(作州往来の記述のみある)。

 ※倉敷往来:岡山から牟佐・町苅田・周匝を経て、美作倉敷(現林野)に至る道。周匝海道、因幡海道などの名称でも呼ばれる(調査報告6より抜粋)

歩行記録

 天満屋ハピータウンの前を通り、新幹線の高架をくぐって広い交差点を渡る。交差点を渡り終えたところから心臓病センター榊原病院の前を直進。左にやや離れて天計神社(神宮寺山古墳)の森が見える。

榊原病院を過ぎて、ゴルフの打ちっ放し(平成27年現在名wai2倶楽部)の前を過ぎた右手に、かっての作州往来が分岐していく(ただし、現在は民家の裏側を通り抜ける形になっており通行はできない。倉敷往来を進む場合は御野幼稚園の前で右折(東進)し、御崎宮方向へ進む)。
 津山往来を行く場合は、御野幼稚園横を進み、西川を渡る。
榊原病院前分岐 倉敷往来分岐

 津山往来は直進し、御野幼稚園の西側(栄橋東詰)を北に進み、西川を渡る。
御野幼稚園横

順路2

調査報告2 津山往来

 [p.6] 倉敷紡績岡山工場正門前から左に折れ、すぐに右に曲がって西川沿いに御野小学校東側を通り抜ける。左側には天計神社、その背後にはこんもりとした神宮寺山古墳が見える。(略)その先、栄橋を渡って、御野幼稚園前の三叉路を北に入っていく。『吉備温故秘録』に「八幡宮。石橋。<西川に渡す、此處より土手なし>。北方村<茶店多し>」と記してあるのがこの辺りで、石橋とあるのはこの栄橋のことを指しているのだろう。(引用ここまで)

 [末尾の地図] 天計神社の200メートルほど手前で左折、西川を御野小学校方面に渡り、すぐ右折、西川の西側を北に進んでいる。

歩行記録

 天満屋ハピータウンの前を通り、新幹線の高架をくぐって広い交差点を渡る。交差点を渡り終えたところから心臓病センター榊原病院の前を140メートルほど進んで、左側御野小学校方面に曲がる。目の前の西川を渡り、すぐに北に折れ、西川の横を北に進む。

西川沿いを200メートル弱進むと、天計神社の鳥居がある。前方後円墳の神宮寺古墳の後円部の上に神社が造営されている。その先、さかえ橋の西詰を渡り、半田山に向って進む。

検討

検証1

御野の分岐

 実際に歩いてみると、順路2のように榊原病院の前で左折して西川を渡り、その西側を北上し、天計神社の前を通過した場合、栄橋の西詰に出る。御野幼稚園の手前で栄橋を渡ると、進行方向は東に向き、北の半田山方面に向かうためには、もう一度西川を渡らなければならない。

栄橋を渡らずにまっすぐ半田山方面に向かうと、天計神社の北では一度も西川を渡らない。

 吉備温故巻17 官道下(群書集成7p349-350)、二、作州福渡に至る惣計六里八町十間。の記述では確かに、「八幡宮。石橋西川に渡す」という記述があり(吉備温故の記述を見る)、また天計神社はかって八幡宮と呼ばれていたようだ(岡山県大百科事典など)。

吉備温故秘録の「官道の図二之下」(群書類従7p335)及び備陽記「一 岡山城下ヨリ津高郡建部上村之往還絵図之事」(巻二十四)はどちらも、

  1. 八幡宮(天計神社)の前を通過せず、西川を隔てた東側を通っている。
  2. 八幡宮より北で西川を渡っている。

これらを踏まえて、倉敷紡績岡山工場の建設や廃業、心臓病センター榊原病院の建設、新幹線の敷設や道の拡幅などで大きな変動があったにしても、

  1. 津山往来は天計神社を過ぎるまで西川の東を通っていたのではないか
  2. そして御野幼稚園の近くで、倉敷往来と分岐し、そこから御野幼稚園前まで直進していたのではないか
  3. 吉備温故でいう「八幡宮。」はその前を通るという意味ではなく、近くに名を知られた神社があるので記しただけではないか

 吉備温故でいう石橋の位置が現在の栄橋と同じか、それとも幼稚園に沿って進む無名の橋かは判断できないが、(向きが変わるなどしたかも知れないが)おそらくかっての石橋を継承するものが現在の栄橋ではないか。

なお、最初、調査報告2に沿った道を歩いたが、その後の調査で上記結論に達し、再度歩きなおした。栄橋も渡ってみたが、渡らず幼稚園の西側に沿って西川を渡る方が道としてなめらかなのでそちらをとった。

検証2

 明治31年発行の「改正岡山市明細図 附接近郡村地図」(発行:細謹舎)には、国県里道として順路2の西川西岸の道は記載されていない。もちろん御野幼稚園はあるはずもないが、その前の道(御崎宮から御野幼稚園の前を通って西川を渡る道)も記載されていない。これらが整備されたのは、もっと後である可能性が高い。

 道の形状は前記明細図と大日本帝国陸地測量部発行(明治30年測図、同32年発行)の二万分の一地図「御野村」は同じである。どちらも、西川の東を北上して来た道がYの形(開きがもっと広角)に分岐している。

 不思議なのは両方の地図に、天計神社が記載されていないことである(御崎宮はどちらにも記載されている)。詳細は今後調査する。


参考文献
津山往来1
津山往来トップ
岡山の街道を歩く
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