同八日
十二時に騎馬で出て、一時に公会所へ到着。
備前藩の件の談判に入る前に、「この度自分は外国事務総督を命じられた。はなはだ事情にも疎く手抜かりがあり、かつ愚昧であるので、対応等が行き届かないであろう。また、これまで徳川幕府の役人の話を伝え聞くところによれば、協議が兎角議論になりがちであったということだが、なにとぞ互いに信義を以て腹蔵なく、話し合いたい」と申し述べたところ相手よりも「望むところである」との答えがあった。
宇(宗城) 外交は互いに腹蔵なく、話し合いたいものである。差当たり
備前藩士の一件が片付かないうちは、互いに腹のなかに疑惑があるだ
ろう。東久世も京都に用事があって遅れるので、自分が大坂から昨日
参った。(責任者とされる)備前の侍も今夜迄には兵庫へ来ている。
どのように処置すべきか。
外交方(事務局)このあいだに日置帯刀に通達した書類や名前と身元を書いた書類などを示した。
外(外国公使) 外交については同じように願うところである。この書類
の内容はもれなく国内へ通達されるか。
宇 その通りである。
外 どのような通達になるか。
宇 その手続きは済んでいる。後刻、政府より各藩留守居へ通達する。
外 人命を絶つのは忍びがたいことであるが、今後親しく交流するために
は実行せざるを得ない。切腹は日本では当然の罰であろうか。
宇 武士に対しては当然の罰である。
外 日本の法ではこのような罰に処せられる者は、土地をお取上げになると聞く。罪のない妻子までが苦難することになる。そのようなことにならないようお願いしたい。
【補足】
(一)同じ記述が「大日本外交文書第一巻第一冊、一四二 二月八日(三月一日)外国事務総督伊達宗城ト各国公使トノ応接記」(外務省調査部編、日本国際協会、昭和一一年から一五年刊。ページ三四二から三四三。)にある。
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(二)『外交』という文字の上に紙を貼っているが、透けて見える。削除したとも考えられるが、『外交方』の行為であると判断し、記述した。