宇 承諾した。ご厚意のことについては了解した。政府へも伝え、
(遺族が)苦労しないように処置すべきとする。刑罰の都合などは伊藤俊介などと相談して欲しい。
この他の余談は略す。
同九日晴
五代が瀧善三郎の一命だけは助けたいことだと同人の考えをもとに話した。しかし、明確な答えはせず、政府が決めたことを他の者がかれこれ口だしすることは行ってならないことは、西洋各国の常識だと答えた。しかしながら、絶対に駄目だと立腹することもしなかった。なお、(瀧を助けたいとの)気持ちがあるので、外公使ヘも申し述べたいとのことであったので、後刻の会議を約束しておいた。
神戸警備の薩長の隊長を呼出した。
薩摩藩は、新納軍八と小倉壮九郎、長州藩は祖式金八郎と深栖多門である。
このことは東久世が此の地に不在なので、私から申し渡す。備前藩日置帯刀家来、瀧善三郎、従来より朝廷より仰せ付けられていた通り、今夜執り行うことになった。
しかしながら、刑法局からの出張がない。このことは刑法事務輔議定総督の細川右京大夫(護久)が、東海道追討を命じられて刑法係から外れたためであろうかと思う。
今日となっては、他に策もないので、薩長両藩は神戸警備を行っていることから、余分のことではあるが、この件について担当することを申付ける。