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故瀧政信殉国事歴の5ページめ
一 警備に関することは両藩で相談すべきこと
一 外国人への応対は、伊藤俊介へ相談すべきこと

備前藩の沢井権次郎および下野信太郞にも同じ趣旨のことを申し聞かせた。誠に痛惜に絶えず落涙しながら申し聞かせた。
五代と寺嶋が来て、助命に関し、多くの議論を費やしたが、どうにも救うことができない状況である由。残念千万である。事件当所の応対であればどうにか助けられた。惜しいことだ、哀れなことだ。

十一時、伊藤俊介が来た。滝善三郎の割腹が済んだということだ。至って見事であった由。
 当人の口上
 神戸において、発砲を号令したのは、自分の誤りであったと申し述べた由。

助命を申入れたので、公使一同、二時間も密談したということだが、遂に不承知であったということで、十時過ぎ割腹。堪らず、憫惜により、一首詠んだ。
ひとすじに思ひきりても瀧のいとの
千筋もヽすじそふなみだ哉

 備前藩の一件について各国公使達へ詫び状を次の通り記し、すぐに渡した。
 手紙を以て、申上げる。さて、この度、備前藩の家来が理由なく外国公使ならびにその人民を襲った時、朝廷においては新しく政治を始めたばかりであったため、はなはだ不行き届きであったことは、私より


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注記と補足

【人物】
澤井権次郎 下野信太郞 伊藤(俊介)

【補足】
(一)『百法及談判』について百法は仏教の言葉であるようだ。通常は『百方』という言葉であらゆる手段という使い方をする。これに準じて『多くの議論』とした。
(二)まん中から右へ二行目『可惜可憫事』の上に小さく『シ』と読める文字がある。これの扱いを検討したが、意味としては単に惜しむべしと考え、『惜しいことだ』とした。


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