十二月の中旬から少し落ち着いてものごとが考えられるようになった時、自分の人生でこんな危機は、前にもあったな、と思い至った。
五十歳で図書館から学部事務室に異動したときだ。
就職した当初は『でもしか図書館員』だったが、仕事が性にあっていたのか、いつのころか図書館員という仕事が天職だと思っていた。人事異動により図書館員が他の職場に移動したり、他の部署から図書館に異動して来たりすることが頻繁に起きるようになったころだった。そして、僕も五十歳の時、図書館から学部事務室に異動になった。若くても人事異動は大変だが、五十歳になってからの異同はこたえた。
年が年だから責任者として着任したがまったく知らない仕事だった。誰かに任せばよいのだろうが、だれに任せればよいかもわからない。お局さまとは衝突した。何より、仕事にまったく興味が持てないのだ。
退職することばかりを考えた。踏みとどまったのは、結局生活のためだったように思う。また、大学を出たあとずっと一つの職場だったので、他の職場へ移るのが不安だった。
その時の不安と比べてみた。今回の災難は、まだ確定していない部分があるので、この先はわからないが、少なくとも現在の状況では二十年前の図書館からの異動の方がつらかった。
今回、子どもたちにずいぶん助けられたが、五十歳のときはまだ二人とも大学院と大学を出てすぐのころで、親としての責任はまだ終わっていなかった。それに、生活するためには興味がまったく持てない仕事をしなければならなかった。いろんな評価にさらされている現役でもあった。
今回は、子どもに対してはあまり迷惑をかけないように心がけるくらいで、こちらが心配することはない。年金もあるので最低限の生活ができる。
何より、一番大きいのは、自分が興味があることを日々追っかけることができることであると気づいた。読み聞かせ・昔話と神戸事件という自分が決めたテーマがあり、そのことに一日の多くの時間を費やすことができている。そういう生活が自分が一番望んでいるものだと気づいた。