七十歳で図書館アルバイトに応募した(五)

 二つの災難を比較する過程で、図書館から異動したあとの五年、図書館の仕事にもどってからの五年について、いろいろ思い出した。

 学部事務室で五年過ごした。失敗しながらであったが、何となく仕事は覚えていった。しかし、面白くないことに変わりはなかった。むしろ、苦痛の度合いは大きくなった。
 限界だと感じはじめたころ、新設大学の図書館で働けることになった。ただし、遠隔地なので家庭の事情もあり単身赴任になる。また、かなり辺鄙なところだった。ちゃんとした本屋もなく、また趣味のオートバイ競技の練習場も近くになかった。しかし、図書館で働けることは何にも代えがたかった。そして五年間働いた。オートバイ競技のかわりに道歩きをはじめ、千葉県自然歩道を完歩し、房総半島を横断した。

 もう一度図書館で働けたことはとてもありがたかったが、今考えると若い時のように単純に図書館業務に集中していたわけではなかった。
 十八歳人口の減少にともない、大学経営の危機が叫ばれ、”効率的な”経営の一つとして始まった『図書館人事の変革』(要するに図書館員を他の部署に配置転換し、他の部署の職員を図書館に異動する。さらに、派遣やアルバイトを正規職員に替える。究極は外部委託)は、正規社員の削減という日本社会全体の潮流のなかで、試策の段階をとっくに過ぎて、当たり前のこととなっていた。
 それは感じていたが、人事権を持つ執行部をはじめとした周囲の「図書館員は閉鎖的で、大学全体のことを考えていない」「予算を食うばかりで、稼いでいない」といった類の声へ対抗することは、図書館の仕事にもどった人間の義務だと思っていた。
 それまでにも論争は何度もやったが、議論では彼らの考えを変えることができないし、自分が異動されたら終わりだということは骨身にしみていた。戦略が必要である。

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