七十歳で図書館アルバイトに応募した(六)

 新設大学として大規模に行っていた広報活動に積極的に参加した。広報担当者の求めに応じて、レンタカーを借りて、他県の高校を回った。地域連携のために図書館主催の教養講座も行った。
 公的資金への応募も試みた。学内LANとデジタル情報を組み合わせて、研究者だけでなく、学生全体が二十四時間、学術情報を利用できる環境を作る。その一環として日曜・祭日も図書館を開ける、という資料を作り、正式応募の前に学内で選抜するコンテストに提出した。
 きちんと大学図書館の動静を調べているものにとっては十数年の時間的推移を考えても、特に目新しいものではなかったが、『学内全体を仮想図書館とする』というキャッチフレーズと、説明した女性の説得力とがあいまって、上層部にはうけた。学内コンテストに合格し、目的とした大型のものはだめだったが、ついでに出した小規模の予算を獲得することができた。
 ただし、それらの努力によって、人事権者などの考えを少しでも変えられたかというと心もとない。ここでは深入りしないが、人というものは一度持った考えはなかなか変えないものだと気づいた。
 これらの外部活動に加えて、管理職的な仕事も多かった。今思うと、純粋に図書館的な仕事の比率は半分もなかったのではないか。

 六十歳になったとき、六十三歳まで働ける条件であったが、五年間の単身赴任がかなりこたえていた。知人の奥さんが亡くなったことなどもあり、退職して岡山に戻った。

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